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依
依代集
こくりゅうじん

黒竜人

―二時の客―
― 切り離されたものは、行き場をなくして、いちばん寂しいところへ戻る ―
著 / 研一 恐 ★★★★☆ 約 7,200 字 / 読了 約 13 分 令和の奇譚
時

序

個人タクシーを、三十年やっています。

夜の仕事です。夕方に車を出して、明け方に戻ります。昼に寝て、また夕方に出る。三十年、それを繰り返してきました。

乗せたお客さんのことは、日報に書きます。乗せた時刻、降ろした時刻、どこからどこまで、料金。ボールペンで、一行ずつ。書くことになっているので書くだけで、読み返したことはありません。

三十年分の日報が、押し入れの段ボールに入っています。箱の数は、もう数えていません。

今年の分だけ、ほかと違います。

四月から、毎晩、同じ時刻に、同じ行があります。

それから、十月のある夜からは、一行多い夜があります。

この話は、その一行のことです。

一 二時の客

その人を初めて乗せたのは、今年の四月です。

午前二時でした。川沿いの通りに出る手前の角、終夜営業の牛丼屋の前で、手が上がりました。

あの角は、夜中でも明るいんです。牛丼屋の看板と、隣のコインランドリーの白い灯りで。客待ちの車も寄ってこない、中途半端な場所です。

手を上げていたのは、小柄なおじいさんでした。灰色のジャンパーに、ハンチング帽。七十代の後半くらいに見えました。

ドアを開けると、おじいさんは左の後ろに乗りました。それから、尻をずらして、ドアのほうへぎりぎりまで寄りました。左の肩を窓ガラスにくっつけるようにして、座り直しました。

右側が、広く空きました。

「どちらまで」

「どこでもええ」

関西の言葉でした。この街では、あまり聞きません。

「一時間、走ってくれ。どこでもええから。止まらんと」

わたしは、聞き返しませんでした。夜中の二時に、行き先を言わないお客さんは、たまにいます。眠れない人。家に帰りたくない人。誰かと喧嘩した人。たいていは三十分も走れば、行き先を思い出します。

川沿いの通りから環状の道に乗って、街をひと回りしました。ちょうど一時間かかる道です。夜中は空いているので、信号以外ではほとんど止まりません。

おじいさんは、その一時間、ほとんど口をききませんでした。ときどき、右の手首の腕時計を見ていました。

夜中の環状の道は、街灯ばかりが続きます。川に沿って走るところでは、窓を閉めていても、少しだけ水の匂いがします。道路の清掃車と何度かすれ違いました。おじいさんは、清掃車が通るたびに、首を回して見送っていました。

一時間たって、牛丼屋の前に戻ってきました。

おじいさんは、料金を小銭で、ぴったり払いました。

「おおきに。明日も、頼むわ」

次の夜も、二時に、同じ角で手が上がりました。

その次の夜も。

一週間たつころには、わたしのほうが、二時になるとその角を通るようになっていました。

二 八分

慣れてくると、おじいさんは、よく喋る人でした。

「運転手さん、そこ、右のほうが早いで」

「一時間走るんでしたら、早くなくても」

「ほんまやな」

一人で笑って、それからまた、次の角で「そこ、左のほうが早いで」と言いました。

ラジオの音が大きいと言い、小さくすると、聞こえへんと言いました。この街のうどんの汁が黒いことに、毎晩、腹を立てていました。わたしの歳を聞いて、「若いなあ」と言いました。わたしは、六十を過ぎています。

飴をくれる人でもありました。ジャンパーのポケットから、黒い飴を出してきて、「飴ちゃん、いるか」と言います。信号で止まると、肩越しに差し出してきます。断っても、運転席の横にそっと置いていきました。三日で、ドリンクホルダーが黒飴でいっぱいになりました。

「運転手さん、甘いもん、嫌いか」

「嫌いではないです」

「ほな、なんで食べへんの」

「運転中ですから」

「ほな、帰ってから食べ」

帰ってからも、食べませんでした。黒飴は、ドリンクホルダーにたまっていきました。

右の手首の腕時計は、古い、文字盤の黄ばんだものでした。

ある夜、信号待ちで、おじいさんがその時計を見て言いました。

「この時計な、八分進めてあんねん」

「遅れないようにですか」

「そや。八分、早よしとかなあかんねや」

「何にです」

「家、出るのにや」

夜中の二時に家を出るのに、何に遅れるというのか。わたしは聞きませんでした。夜の客の時計の話は、たいてい、聞いても仕方のない話です。

料金は、毎晩、同じでした。同じ道を、同じ時間だけ走るのだから、当たり前です。おじいさんは、その額を小銭で用意して、毎晩ぴったり払いました。十円玉まで揃えてありました。

「お釣り、いらんようにしとかんとな。運転手さん、夜中に小銭数えるの、しんどいやろ」

五月の終わりには、日報の同じ時刻に、同じ額の行が、四十いくつ並んでいました。

三 小指

小銭を受け取るとき、おじいさんの左の手が見えました。

いつもは、ジャンパーのポケットに入れている手です。その夜は、雨で小銭が湿っていて、両手で数えていました。

小指が、ありませんでした。

第二関節のところから先が、つるりとなくなっていました。古い傷でした。

わたしの目が止まったのに、おじいさんは気づいたようでした。手を引っこめずに、むしろ少しこちらへ向けて言いました。

「平成の初めにな、自分で切ってん」

わたしは、何と言えばいいのか分かりませんでした。

「言うこと、きかんようになってな。肩から入ってきよって、ここまで下りてきよった」

おじいさんは、左の肩から小指の先まで、右の指でゆっくりなぞってみせました。肩、肘、手首、小指。

「そやから、切った」

車の中が、しんとしました。

フロントガラスを、雨が流れていました。

しばらくして、おじいさんは、ひとりごとのように言いました。

「昔はな、切ったら、持っていってくれる人がおったらしいわ」

「……持っていって」

「わしのときは、もう、おらんかった」

おじいさんは、それきり黙りました。

その夜は、飴をくれませんでした。

降りるとき、いつもの「おおきに」のあとに、もう一言だけ言いました。

「あんたは、切らんでええように、しときや」

四 右後ろ

六月に入ったころから、ハンドルが、右に取られるようになりました。

おじいさんを乗せているあいだだけです。

まっすぐ走らせているつもりでも、車が少しずつ右へ寄っていく。指で押し返していないと、隣の車線へ流れていく。右の後ろのタイヤの空気が抜けているような手応えでした。

昼のうちに、いつものタイヤ屋に持っていきました。

「どこも、なんともないよ」

若い店員が、四本の空気圧を測って、首をかしげました。ホイールのゆがみも見てもらいました。なんともありませんでした。

「重いもん、積んでないですか。トランクとか、後ろの席とか」

「積んでいません」

「なら、気のせいだよ。三十年乗ってたら、腕のほうがくたびれるって」

夜、また二時に乗せると、また右に取られました。

ルームミラーで、後ろを見ました。

おじいさんは、いつものように左のドアにくっついて座っています。右側は、空いています。

空いている右側の、座面が、沈んでいました。

座席の白いカバーに、しわが寄っていました。尻の形に、丸く。誰かが座っているくらいの、くぼみでした。

わたしは、ミラーから目をそらしました。

もう一度見ると、くぼみは、まだありました。

おじいさんは、痩せていきました。

四月には体に合っていた灰色のジャンパーが、六月には肩が落ちて、袖が余るようになりました。頬がこけて、ハンチング帽が大きく見えました。乗り込むとき、ドアの縁をつかむ手の甲に、骨が浮いていました。

それなのに、乗り込むときの車の沈み方は、四月より深くなっていました。

痩せていくのに、重くなっていく。

わたしは、それを日報には書きませんでした。書く欄がありません。

おじいさんを降ろしたあと、明け方まで、ほかのお客さんを何人か乗せます。そのあいだ、ハンドルは一度も右に取られませんでした。

まっすぐ走る車に戻ると、わたしは、なぜか少しほっとして、それから、ほっとした自分が嫌になりました。

五 帯

六月の半ばの夜、おじいさんが言いました。

「運転手さん。明日から、もうちょっと、長うしてくれへんか」

「どれくらい」

「十分。前と後ろに、十分ずつ」

次の夜から、おじいさんは一時五十分に手を上げるようになりました。降りるのは三時十分です。

八月には、一時半から三時半になりました。

九月には、一時十五分から、三時四十五分。

十月のはじめには、夜中の一時に乗って、明け方の四時に降りるようになっていました。三時間です。環状の道を、三周します。

料金は、それだけ増えました。おじいさんは、増えた額を、やはり小銭でぴったり用意していました。百円玉の数が、日に日に増えていきました。

そのぶん、ほかのお客さんを乗せられなくなりました。夜中の一番いい時間を、毎晩、あの人に貸しているようなものです。同業の知り合いに話すと、「いい常連つかまえたな」と笑われました。

わたしのほうも、変わっていきました。昼に寝ていても、一時ごろになると目が覚めるようになりました。昼の一時です。窓の外は明るいのに、体だけが、角へ向かう支度を始めている。

日報を見ると、時刻の幅が、月ごとに、両側へ少しずつ広がっていました。

広がっていく真ん中には、いつも、二時がありました。

「お体、大丈夫ですか」

一度だけ、そう聞きました。

おじいさんは、窓の外を見たまま言いました。

「大丈夫や。動いとったら、大丈夫なんや」

六 動いとったら

九月の終わりの、雨の夜でした。

信号待ちのあいだ、ワイパーの音だけがしていました。

おじいさんが、ぽつりと言いました。

「動いとったらな、肩に乗ってこられへんのや」

わたしは、ミラーを見ないようにしていました。

「隣に座るだけや。動いとるあいだは、隣に座っとるだけで、何もしてこえへん」

「……家では」

「家では、乗ってくる」

おじいさんは、自分の左の肩に、右の手を置きました。

「止まっとったら、ここに乗ってくる。重たいで。砂袋、背負うとるみたいや」

信号が、青になりました。

わたしは、車を出しました。ハンドルが、右に取られました。

「去年な、家内が死んでん」

おじいさんは、言いました。

「家内がおるあいだは、寄ってけえへんかった。三十年、一回も。……家内が死んでから、戻ってきよった」

何が、とは、わたしは聞きませんでした。

聞いたら、答えてくれたと思います。聞かなかったのは、わたしのほうです。

その夜、降りるとき、おじいさんは小銭を数えながら言いました。

「運転手さん。あんた、奥さんは」

「いません」

おじいさんは、手を止めて、少しのあいだ、わたしの後ろ頭を見ていたようでした。

「……そうか」

それだけでした。

七 飴

十月に入ってから、おじいさんは、乗るとすぐに、空いている右の座席に飴を一つ置くようになりました。

黒い飴を、包みのまま、座面のくぼみの真ん中に、そっと。

わたしには、もう、くれなくなりました。

一度だけ、聞いてみました。

「その飴、誰のですか」

おじいさんは、窓の外を見たまま、言いました。

「お客さんのや」

それ以上は、聞けませんでした。後ろの席に、お客さんは一人しか乗っていないはずでした。

明け方におじいさんを降ろして、車を戻す前に、後ろの座席を見ます。

飴の包みが、開いていました。

ねじってあった両端がほどけて、平らに広がっていました。

中身は、ありませんでした。

座面にも、床にも、シートのすき間にも、落ちていませんでした。

わたしは、その包みを拾って、ごみ袋に入れました。

次の朝も、開いていました。

その次の朝も。

一度、急ブレーキを踏んだ夜がありました。酔った人が、車道に出てきたんです。おじいさんの体が前に揺れて、ジャンパーの袖が運転席の背もたれに当たりました。

右の座席の飴は、転がりませんでした。

くぼみの真ん中に、置いたときのまま、のっていました。

その朝、飴の包みを指でつまんだとき、包みの内側が、少しだけ湿っていたのを覚えています。

八 来ない夜

十月の半ばの夜でした。

一時に、角に行きました。牛丼屋の前には、誰もいませんでした。

車を寄せて、待ちました。

二時になりました。

コインランドリーの乾燥機が回る音が、窓を閉めていても聞こえていました。

三時になっても、おじいさんは来ませんでした。

牛丼屋の店員が、ごみを出しに裏から出てきて、わたしの車を見て、それから角を見ました。

「今日、来てないですね。あのおじいさん」

店員も、知っていたんです。半年、毎晩、同じ時刻に店の前で手を上げていた人を。

「いつも、手を上げる前に、うちの窓ガラスで、帽子の角度直してましたよ」

次の夜も、来ませんでした。

その次の夜は、角で待たずに、環状の道を一周しました。おじいさんが歩いていないか、歩道ばかり見ていました。誰も、手を上げませんでした。

わたしは、おじいさんの名前を知りませんでした。家も知りません。半年、毎晩乗せていて、聞いたことがなかったんです。

ただ、一度だけ、名刺を渡したことがありました。七月ごろに、おじいさんのほうから「何かあったときのために、番号、くれへんか」と言われて、渡しました。

四日目の昼に、電話が鳴りました。

九 娘

女の人の声でした。

「父が、毎晩お世話になっていたそうで」

おじいさんの娘さんでした。

おじいさんは、六日前に、家で亡くなっていました。夜中に、居間の椅子に座ったまま、亡くなっていたそうです。娘さんが朝に見つけました。葬式は、もう済ませたと言いました。

「ずいぶん、痩せてしまっていて。抱え起こそうとしたら、軽くて」

娘さんは、そう言いました。

「父の手帳に、運転手さんの名刺が挟んであったんです。名刺の裏に、毎晩の時刻が書いてありました。二時から三時。一時五十分から三時十分。……それで、お礼を、と思って」

おじいさんは、若いころに家内さんと二人で、関西からこの街に出てきたそうです。言葉は、最後まで向こうのままだったと、娘さんは言いました。

わたしは、お悔やみを言いました。それから、聞くつもりのなかったことを、聞いてしまいました。

「毎晩、どうして、タクシーに」

娘さんは、少し黙っていました。

「父は、毎晩、一時過ぎに起きてきて、うちの子の部屋の前に立って、何か言うてから、出ていってたんです」

「何て、言うてはったんですか」

「『ほら、こっちや』って」

娘さんの声が、少し震えていました。

「春ごろから、うちの子が、夜中に起きて、玄関に立つようになってたんです。何も言わないで、戸のほうを向いて、じっと。朝になると、肩が重い、肩が重いって、そればかり言って」

わたしは、受話器を握っていました。

「父が夜に出かけるようになってから、立たなくなりました。肩のことも、言わなくなって」

娘さんは、そこで少し息を整えました。

「父の腕時計は、止まっていました。二時八分でした」

おじいさんの時計は、八分、進めてありました。

「あの日、父は、出かけなかったんです。ずっと、椅子に座ってて。……わたし、今夜は出かけないのって、聞いたんです。そしたら」

娘さんは、言葉を探しているようでした。

「『もう、ええ。今度はわしが、乗せといたる』って」

電話を切る前に、娘さんは、もう一つだけ言いました。

「父の手帳の、運転手さんの名刺のところに、一行だけ書いてありました。『運転手さん、ひとり』って。……何のことか、分かりますか」

わたしは、分かりません、と答えました。

逃げていたのではありませんでした。

あの人は、毎晩、連れ出していたんです。

十 二時

その夜も、わたしは車を出しました。

仕事ですから。

一時を過ぎて、環状の道を流していました。お客さんは、なかなか拾えませんでした。

二時が近づいて、気がつくと、川沿いの通りに出る手前の角に向かっていました。

牛丼屋の前には、誰もいませんでした。窓ガラスに、牛丼屋の看板の灯りが映っていました。

わたしは、止まらずに、角を曲がりました。

曲がり終わったところで、ハンドルが、右に取られました。

車の後ろが、右へ、ぐっと沈みました。

誰かが、乗り込んだときの沈み方でした。

ドアは、一度も開いていません。

わたしは、ルームミラーを見ませんでした。

ハンドルを指で押し返しながら、川沿いの通りから、環状の道に乗りました。

止まらないで、走りました。

赤信号で止まりそうになると、手前で速度を落として、青になるのを待ちながら、ゆっくり転がしました。止まってしまうと、左の肩に、何かがのる気がしたからです。

途中の信号待ちで、ドリンクホルダーに残っていた黒飴を一つ取りました。おじいさんが四月に置いていったものです。

振り返らずに、右の後ろの座席へ、手だけ伸ばして、置きました。

置いた手の甲が、少しだけ、冷たくなりました。

三時になると、ハンドルは、まっすぐに戻りました。

三時半ごろ、駅のほうで、若い男のお客さんを乗せました。飲んだ帰りのようでした。

男は右の後ろのドアを開けて、乗り込みかけて、手をついたところで止まりました。

「あれ。運転手さん、ここ、なんか湿ってない?」

わたしは、すみません、と言いました。

男は、首をかしげて、左のほうへ尻をずらして座りました。それからは、ずっとスマートフォンを見ていました。降りるまで、右側には一度も手をつきませんでした。

車を戻す前に、後ろの座席を見ました。

飴の包みが、開いていました。

終章 日報

朝、部屋に戻って、日報を書きました。

二時〇〇分。乗車地、川沿いの通りの角。降車地、同じ角。三時〇〇分。

実車。

一名。

料金の欄だけ、空けておきました。

書き終えてから、しばらく、その行を見ていました。

十年前に家内と別れてから、この部屋で誰かを待ったことは、ありません。待ってくれるものも、ありません。

おじいさんのところには、家内さんがいるあいだ、三十年、寄ってこなかったそうです。

昼に起きて、コンビニで黒飴を一袋買いました。レジの若い人が、袋に入れるかどうか聞いてきました。わたしは、そのままで、と言いました。

わたしは、腕時計を外して、竜頭を引きました。

八分、進めました。

それから、毎晩、そうしています。

家を出るのが、毎晩、少しずつ早くなっています。

《了》

序

個人タクシーを、三十年やっています。

夜の仕事です。夕方に車を出して、明け方に戻ります。昼に寝て、また夕方に出る。三十年、それを繰り返してきました。

乗せたお客さんのことは、日報に書きます。乗せた時刻、降ろした時刻、どこからどこまで、料金。ボールペンで、一行ずつ。書くことになっているので書くだけで、読み返したことはありません。

三十年分の日報が、押し入れの段ボールに入っています。箱の数は、もう数えていません。

今年の分だけ、ほかと違います。

四月から、毎晩、同じ時刻に、同じ行があります。

それから、十月のある夜からは、一行多い夜があります。

この話は、その一行のことです。

一 二時の客

その人を初めて乗せたのは、今年の四月です。

午前二時でした。川沿いの通りに出る手前の角、終夜営業の牛丼屋の前で、手が上がりました。

あの角は、夜中でも明るいんです。牛丼屋の看板と、隣のコインランドリーの白い灯りで。客待ちの車も寄ってこない、中途半端な場所です。

手を上げていたのは、小柄なおじいさんでした。灰色のジャンパーに、ハンチング帽。七十代の後半くらいに見えました。

ドアを開けると、おじいさんは左の後ろに乗りました。それから、尻をずらして、ドアのほうへぎりぎりまで寄りました。左の肩を窓ガラスにくっつけるようにして、座り直しました。

右側が、広く空きました。

「どちらまで」

「どこでもええ」

関西の言葉でした。この街では、あまり聞きません。

「一時間、走ってくれ。どこでもええから。止まらんと」

わたしは、聞き返しませんでした。夜中の二時に、行き先を言わないお客さんは、たまにいます。眠れない人。家に帰りたくない人。誰かと喧嘩した人。たいていは三十分も走れば、行き先を思い出します。

川沿いの通りから環状の道に乗って、街をひと回りしました。ちょうど一時間かかる道です。夜中は空いているので、信号以外ではほとんど止まりません。

おじいさんは、その一時間、ほとんど口をききませんでした。ときどき、右の手首の腕時計を見ていました。

夜中の環状の道は、街灯ばかりが続きます。川に沿って走るところでは、窓を閉めていても、少しだけ水の匂いがします。道路の清掃車と何度かすれ違いました。おじいさんは、清掃車が通るたびに、首を回して見送っていました。

一時間たって、牛丼屋の前に戻ってきました。

おじいさんは、料金を小銭で、ぴったり払いました。

「おおきに。明日も、頼むわ」

次の夜も、二時に、同じ角で手が上がりました。

その次の夜も。

一週間たつころには、わたしのほうが、二時になるとその角を通るようになっていました。

二 八分

慣れてくると、おじいさんは、よく喋る人でした。

「運転手さん、そこ、右のほうが早いで」

「一時間走るんでしたら、早くなくても」

「ほんまやな」

一人で笑って、それからまた、次の角で「そこ、左のほうが早いで」と言いました。

ラジオの音が大きいと言い、小さくすると、聞こえへんと言いました。この街のうどんの汁が黒いことに、毎晩、腹を立てていました。わたしの歳を聞いて、「若いなあ」と言いました。わたしは、六十を過ぎています。

飴をくれる人でもありました。ジャンパーのポケットから、黒い飴を出してきて、「飴ちゃん、いるか」と言います。信号で止まると、肩越しに差し出してきます。断っても、運転席の横にそっと置いていきました。三日で、ドリンクホルダーが黒飴でいっぱいになりました。

「運転手さん、甘いもん、嫌いか」

「嫌いではないです」

「ほな、なんで食べへんの」

「運転中ですから」

「ほな、帰ってから食べ」

帰ってからも、食べませんでした。黒飴は、ドリンクホルダーにたまっていきました。

右の手首の腕時計は、古い、文字盤の黄ばんだものでした。

ある夜、信号待ちで、おじいさんがその時計を見て言いました。

「この時計な、八分進めてあんねん」

「遅れないようにですか」

「そや。八分、早よしとかなあかんねや」

「何にです」

「家、出るのにや」

夜中の二時に家を出るのに、何に遅れるというのか。わたしは聞きませんでした。夜の客の時計の話は、たいてい、聞いても仕方のない話です。

料金は、毎晩、同じでした。同じ道を、同じ時間だけ走るのだから、当たり前です。おじいさんは、その額を小銭で用意して、毎晩ぴったり払いました。十円玉まで揃えてありました。

「お釣り、いらんようにしとかんとな。運転手さん、夜中に小銭数えるの、しんどいやろ」

五月の終わりには、日報の同じ時刻に、同じ額の行が、四十いくつ並んでいました。

三 小指

小銭を受け取るとき、おじいさんの左の手が見えました。

いつもは、ジャンパーのポケットに入れている手です。その夜は、雨で小銭が湿っていて、両手で数えていました。

小指が、ありませんでした。

第二関節のところから先が、つるりとなくなっていました。古い傷でした。

わたしの目が止まったのに、おじいさんは気づいたようでした。手を引っこめずに、むしろ少しこちらへ向けて言いました。

「平成の初めにな、自分で切ってん」

わたしは、何と言えばいいのか分かりませんでした。

「言うこと、きかんようになってな。肩から入ってきよって、ここまで下りてきよった」

おじいさんは、左の肩から小指の先まで、右の指でゆっくりなぞってみせました。肩、肘、手首、小指。

「そやから、切った」

車の中が、しんとしました。

フロントガラスを、雨が流れていました。

しばらくして、おじいさんは、ひとりごとのように言いました。

「昔はな、切ったら、持っていってくれる人がおったらしいわ」

「……持っていって」

「わしのときは、もう、おらんかった」

おじいさんは、それきり黙りました。

その夜は、飴をくれませんでした。

降りるとき、いつもの「おおきに」のあとに、もう一言だけ言いました。

「あんたは、切らんでええように、しときや」

四 右後ろ

六月に入ったころから、ハンドルが、右に取られるようになりました。

おじいさんを乗せているあいだだけです。

まっすぐ走らせているつもりでも、車が少しずつ右へ寄っていく。指で押し返していないと、隣の車線へ流れていく。右の後ろのタイヤの空気が抜けているような手応えでした。

昼のうちに、いつものタイヤ屋に持っていきました。

「どこも、なんともないよ」

若い店員が、四本の空気圧を測って、首をかしげました。ホイールのゆがみも見てもらいました。なんともありませんでした。

「重いもん、積んでないですか。トランクとか、後ろの席とか」

「積んでいません」

「なら、気のせいだよ。三十年乗ってたら、腕のほうがくたびれるって」

夜、また二時に乗せると、また右に取られました。

ルームミラーで、後ろを見ました。

おじいさんは、いつものように左のドアにくっついて座っています。右側は、空いています。

空いている右側の、座面が、沈んでいました。

座席の白いカバーに、しわが寄っていました。尻の形に、丸く。誰かが座っているくらいの、くぼみでした。

わたしは、ミラーから目をそらしました。

もう一度見ると、くぼみは、まだありました。

おじいさんは、痩せていきました。

四月には体に合っていた灰色のジャンパーが、六月には肩が落ちて、袖が余るようになりました。頬がこけて、ハンチング帽が大きく見えました。乗り込むとき、ドアの縁をつかむ手の甲に、骨が浮いていました。

それなのに、乗り込むときの車の沈み方は、四月より深くなっていました。

痩せていくのに、重くなっていく。

わたしは、それを日報には書きませんでした。書く欄がありません。

おじいさんを降ろしたあと、明け方まで、ほかのお客さんを何人か乗せます。そのあいだ、ハンドルは一度も右に取られませんでした。

まっすぐ走る車に戻ると、わたしは、なぜか少しほっとして、それから、ほっとした自分が嫌になりました。

五 帯

六月の半ばの夜、おじいさんが言いました。

「運転手さん。明日から、もうちょっと、長うしてくれへんか」

「どれくらい」

「十分。前と後ろに、十分ずつ」

次の夜から、おじいさんは一時五十分に手を上げるようになりました。降りるのは三時十分です。

八月には、一時半から三時半になりました。

九月には、一時十五分から、三時四十五分。

十月のはじめには、夜中の一時に乗って、明け方の四時に降りるようになっていました。三時間です。環状の道を、三周します。

料金は、それだけ増えました。おじいさんは、増えた額を、やはり小銭でぴったり用意していました。百円玉の数が、日に日に増えていきました。

そのぶん、ほかのお客さんを乗せられなくなりました。夜中の一番いい時間を、毎晩、あの人に貸しているようなものです。同業の知り合いに話すと、「いい常連つかまえたな」と笑われました。

わたしのほうも、変わっていきました。昼に寝ていても、一時ごろになると目が覚めるようになりました。昼の一時です。窓の外は明るいのに、体だけが、角へ向かう支度を始めている。

日報を見ると、時刻の幅が、月ごとに、両側へ少しずつ広がっていました。

広がっていく真ん中には、いつも、二時がありました。

「お体、大丈夫ですか」

一度だけ、そう聞きました。

おじいさんは、窓の外を見たまま言いました。

「大丈夫や。動いとったら、大丈夫なんや」

六 動いとったら

九月の終わりの、雨の夜でした。

信号待ちのあいだ、ワイパーの音だけがしていました。

おじいさんが、ぽつりと言いました。

「動いとったらな、肩に乗ってこられへんのや」

わたしは、ミラーを見ないようにしていました。

「隣に座るだけや。動いとるあいだは、隣に座っとるだけで、何もしてこえへん」

「……家では」

「家では、乗ってくる」

おじいさんは、自分の左の肩に、右の手を置きました。

「止まっとったら、ここに乗ってくる。重たいで。砂袋、背負うとるみたいや」

信号が、青になりました。

わたしは、車を出しました。ハンドルが、右に取られました。

「去年な、家内が死んでん」

おじいさんは、言いました。

「家内がおるあいだは、寄ってけえへんかった。三十年、一回も。……家内が死んでから、戻ってきよった」

何が、とは、わたしは聞きませんでした。

聞いたら、答えてくれたと思います。聞かなかったのは、わたしのほうです。

その夜、降りるとき、おじいさんは小銭を数えながら言いました。

「運転手さん。あんた、奥さんは」

「いません」

おじいさんは、手を止めて、少しのあいだ、わたしの後ろ頭を見ていたようでした。

「……そうか」

それだけでした。

七 飴

十月に入ってから、おじいさんは、乗るとすぐに、空いている右の座席に飴を一つ置くようになりました。

黒い飴を、包みのまま、座面のくぼみの真ん中に、そっと。

わたしには、もう、くれなくなりました。

一度だけ、聞いてみました。

「その飴、誰のですか」

おじいさんは、窓の外を見たまま、言いました。

「お客さんのや」

それ以上は、聞けませんでした。後ろの席に、お客さんは一人しか乗っていないはずでした。

明け方におじいさんを降ろして、車を戻す前に、後ろの座席を見ます。

飴の包みが、開いていました。

ねじってあった両端がほどけて、平らに広がっていました。

中身は、ありませんでした。

座面にも、床にも、シートのすき間にも、落ちていませんでした。

わたしは、その包みを拾って、ごみ袋に入れました。

次の朝も、開いていました。

その次の朝も。

一度、急ブレーキを踏んだ夜がありました。酔った人が、車道に出てきたんです。おじいさんの体が前に揺れて、ジャンパーの袖が運転席の背もたれに当たりました。

右の座席の飴は、転がりませんでした。

くぼみの真ん中に、置いたときのまま、のっていました。

その朝、飴の包みを指でつまんだとき、包みの内側が、少しだけ湿っていたのを覚えています。

八 来ない夜

十月の半ばの夜でした。

一時に、角に行きました。牛丼屋の前には、誰もいませんでした。

車を寄せて、待ちました。

二時になりました。

コインランドリーの乾燥機が回る音が、窓を閉めていても聞こえていました。

三時になっても、おじいさんは来ませんでした。

牛丼屋の店員が、ごみを出しに裏から出てきて、わたしの車を見て、それから角を見ました。

「今日、来てないですね。あのおじいさん」

店員も、知っていたんです。半年、毎晩、同じ時刻に店の前で手を上げていた人を。

「いつも、手を上げる前に、うちの窓ガラスで、帽子の角度直してましたよ」

次の夜も、来ませんでした。

その次の夜は、角で待たずに、環状の道を一周しました。おじいさんが歩いていないか、歩道ばかり見ていました。誰も、手を上げませんでした。

わたしは、おじいさんの名前を知りませんでした。家も知りません。半年、毎晩乗せていて、聞いたことがなかったんです。

ただ、一度だけ、名刺を渡したことがありました。七月ごろに、おじいさんのほうから「何かあったときのために、番号、くれへんか」と言われて、渡しました。

四日目の昼に、電話が鳴りました。

九 娘

女の人の声でした。

「父が、毎晩お世話になっていたそうで」

おじいさんの娘さんでした。

おじいさんは、六日前に、家で亡くなっていました。夜中に、居間の椅子に座ったまま、亡くなっていたそうです。娘さんが朝に見つけました。葬式は、もう済ませたと言いました。

「ずいぶん、痩せてしまっていて。抱え起こそうとしたら、軽くて」

娘さんは、そう言いました。

「父の手帳に、運転手さんの名刺が挟んであったんです。名刺の裏に、毎晩の時刻が書いてありました。二時から三時。一時五十分から三時十分。……それで、お礼を、と思って」

おじいさんは、若いころに家内さんと二人で、関西からこの街に出てきたそうです。言葉は、最後まで向こうのままだったと、娘さんは言いました。

わたしは、お悔やみを言いました。それから、聞くつもりのなかったことを、聞いてしまいました。

「毎晩、どうして、タクシーに」

娘さんは、少し黙っていました。

「父は、毎晩、一時過ぎに起きてきて、うちの子の部屋の前に立って、何か言うてから、出ていってたんです」

「何て、言うてはったんですか」

「『ほら、こっちや』って」

娘さんの声が、少し震えていました。

「春ごろから、うちの子が、夜中に起きて、玄関に立つようになってたんです。何も言わないで、戸のほうを向いて、じっと。朝になると、肩が重い、肩が重いって、そればかり言って」

わたしは、受話器を握っていました。

「父が夜に出かけるようになってから、立たなくなりました。肩のことも、言わなくなって」

娘さんは、そこで少し息を整えました。

「父の腕時計は、止まっていました。二時八分でした」

おじいさんの時計は、八分、進めてありました。

「あの日、父は、出かけなかったんです。ずっと、椅子に座ってて。……わたし、今夜は出かけないのって、聞いたんです。そしたら」

娘さんは、言葉を探しているようでした。

「『もう、ええ。今度はわしが、乗せといたる』って」

電話を切る前に、娘さんは、もう一つだけ言いました。

「父の手帳の、運転手さんの名刺のところに、一行だけ書いてありました。『運転手さん、ひとり』って。……何のことか、分かりますか」

わたしは、分かりません、と答えました。

逃げていたのではありませんでした。

あの人は、毎晩、連れ出していたんです。

十 二時

その夜も、わたしは車を出しました。

仕事ですから。

一時を過ぎて、環状の道を流していました。お客さんは、なかなか拾えませんでした。

二時が近づいて、気がつくと、川沿いの通りに出る手前の角に向かっていました。

牛丼屋の前には、誰もいませんでした。窓ガラスに、牛丼屋の看板の灯りが映っていました。

わたしは、止まらずに、角を曲がりました。

曲がり終わったところで、ハンドルが、右に取られました。

車の後ろが、右へ、ぐっと沈みました。

誰かが、乗り込んだときの沈み方でした。

ドアは、一度も開いていません。

わたしは、ルームミラーを見ませんでした。

ハンドルを指で押し返しながら、川沿いの通りから、環状の道に乗りました。

止まらないで、走りました。

赤信号で止まりそうになると、手前で速度を落として、青になるのを待ちながら、ゆっくり転がしました。止まってしまうと、左の肩に、何かがのる気がしたからです。

途中の信号待ちで、ドリンクホルダーに残っていた黒飴を一つ取りました。おじいさんが四月に置いていったものです。

振り返らずに、右の後ろの座席へ、手だけ伸ばして、置きました。

置いた手の甲が、少しだけ、冷たくなりました。

三時になると、ハンドルは、まっすぐに戻りました。

三時半ごろ、駅のほうで、若い男のお客さんを乗せました。飲んだ帰りのようでした。

男は右の後ろのドアを開けて、乗り込みかけて、手をついたところで止まりました。

「あれ。運転手さん、ここ、なんか湿ってない?」

わたしは、すみません、と言いました。

男は、首をかしげて、左のほうへ尻をずらして座りました。それからは、ずっとスマートフォンを見ていました。降りるまで、右側には一度も手をつきませんでした。

車を戻す前に、後ろの座席を見ました。

飴の包みが、開いていました。

終章 日報

朝、部屋に戻って、日報を書きました。

二時〇〇分。乗車地、川沿いの通りの角。降車地、同じ角。三時〇〇分。

実車。

一名。

料金の欄だけ、空けておきました。

書き終えてから、しばらく、その行を見ていました。

十年前に家内と別れてから、この部屋で誰かを待ったことは、ありません。待ってくれるものも、ありません。

おじいさんのところには、家内さんがいるあいだ、三十年、寄ってこなかったそうです。

昼に起きて、コンビニで黒飴を一袋買いました。レジの若い人が、袋に入れるかどうか聞いてきました。わたしは、そのままで、と言いました。

わたしは、腕時計を外して、竜頭を引きました。

八分、進めました。

それから、毎晩、そうしています。

家を出るのが、毎晩、少しずつ早くなっています。

《了》

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切り離されたものは、行き場をなくして、いちばん寂しいところへ戻る。壱ノ型「憑」。

「憑」は、外から入り込む型である。
入られた場所を切り離せば、追い出すことはできる。
けれど、追い出されたものが、消えるわけではない。
昔は、それを引き取る人がいたという。
いまは、いない。
行き場をなくしたものは、いちばん寂しいところへ戻ってくる。
止まらずに走っているあいだだけ、それは、隣に座っている。

この庫は、語られるたびに増えていく。
あなたが視たもの、聞いたもの、腑に落ちないまま抱えているもの。
それも、まだ名前のつかない一篇かもしれません。

奇譚を寄せる
研

研一

依代師ユニバースの作者。連載小説「泉京介の憂鬱」、「黒竜人」シリーズを執筆。