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依
依代集
こくりゅうじん

黒竜人

―道に迷う姉―
― 徴候だけが残り、その人は帰ってこない ―
著 / 研一 恐 ★★★★☆ 約 8,000 字 / 読了 約 14 分 昭和から令和の奇譚
灯

序

姉が家を出たのは、昭和五十五年の夏でした。

姉は二十二で、わたしは十七でした。

あの夜から、うちの玄関の灯りは、ついたままになりました。母がそうしたんです。母が死んでからは、わたしがそうしてきました。

四十六年です。

去年の十二月まで、一晩も消したことはありませんでした。

この話は、その灯りを消した日のことです。

人に話すのは初めてです。話す相手が、もう、いなかったものですから。

姉のことを覚えている人は、この町にもう、ほとんど残っていません。覚えている人も、姉の顔より先に、うちの玄関の灯りを思い出すと思います。

一 方向音痴

姉は、ひどい方向音痴でした。

家から歩いて十分の小学校に、六年間通っていて、帰り道で三回迷っています。三回とも、駅前の交番のおまわりさんに連れて帰ってもらいました。三回目のとき、おまわりさんは玄関で母に頭を下げられて、困った顔で言いました。

「また、お姉ちゃんですか」

それから、そのおまわりさんとうちは、ずっとその調子でした。姉が高校を出るころには、おまわりさんのほうから「今日は、迷てへんか」と声をかけてくるようになっていました。

郵便局の前に立って、通りがかりの人に「郵便局、どこですか」と聞いたこともあります。聞かれた人は、黙って姉の後ろを指さしたそうです。姉は振り返って、「ほんまや」と言って、大笑いしました。

修学旅行では、集合場所で、よその学校のバスに乗っていました。気づいたのは向こうの先生で、姉は「みんな知らん顔やなと思てた」と言ったそうです。

姉は、よく笑う人でした。声が大きくて、笑うと肩が揺れました。

それから、道を聞くのが上手い人でした。

知らない人に、何のためらいもなく声をかける。「すみません、ちょっと迷てしもて」と、恥ずかしそうに笑う。聞かれた人は、たいてい嬉しそうに教えてくれました。わざわざ角まで一緒に歩いてくれる人もいました。

姉はお礼を言って、教えられたとおりに歩いて、それでもだいたい、また迷いました。

角に来ると、姉は必ず立ち止まりました。右を見て、左を見て、首をかしげて、それから言うんです。

「……どっちやったかな」

そして、必ず、間違ったほうへ曲がりました。

わたしは五つ下の妹でしたが、小学校の高学年になるころには、姉と出かけるときの道案内は、わたしの役目になっていました。姉が角で立ち止まると、わたしが袖を引いて、「こっち」と言う。姉は「あ、そうか」と言って、ついてくる。

「あんたがおらんかったら、お姉ちゃん、いまごろ北海道におるわ」

母はよくそう言いました。

二 三つ目のボタン

母は、家で洋裁の内職をしていました。

奥の六畳にミシンがあって、夜になると、その音が台所まで聞こえてきました。わたしも姉も、子どものころの服はほとんど母が縫ったものです。

昭和五十五年の春、姉は町の信用金庫に勤めはじめました。

最初の一週間で、二回、別の支店に出勤しています。

初出勤の朝には、駅前であのおまわりさんが待っていて、「信用金庫、どっちか分かるか」と聞いたそうです。姉は胸を張って指さして、それが反対でした。

その就職祝いに、母は姉に、白い夏の服を縫いました。袖の短い、膝の下まである、前をボタンで留める形のものです。

縫い上がってから、ボタンが一つ足りないことが分かりました。前に五つ並ぶはずが、四つしかなかったんです。

母は裁縫箱をひっくり返して、自分の古いコートからとってあった貝のボタンを出してきて、三つ目に付けました。ほかの四つより少し大きくて、光の加減で、うっすら虹色に光るボタンでした。

「お母さん、それ、違うやん」

わたしが言うと、母は糸を歯で切りながら言いました。

「一個違うほうが、なくしたとき困らん」

どういう理屈なのか、いまも分かりません。

姉は、それを気に入りました。鏡の前で三つ目のボタンを指でつついて、「ここだけ、ええとこの服みたいや」と言いました。

信用金庫の窓口で、年配のお客さんに「そのボタン、きれいやね」と褒められたそうです。姉は「母のコートのです」と答えて、お客さんに「お母さん、寒ないの」と心配されたと、夕飯のときに笑って話していました。

姉は汗っかきでもありました。夏は、ハンカチを三枚持って出かけます。一枚は顔、一枚は首、一枚は予備。帰ってくると、三枚とも絞れるくらいになっていました。

白い服を着た最初の日も、姉は帰ってくるなり、「脇、びしょびしょや」と言って笑っていました。

三 迷わない

その年の、七月の半ばのことです。

姉が、職場の人の家に呼ばれて、夜に出かけました。隣の地区の、姉が一度も行ったことのない家です。

母は、九時を過ぎたころから時計を見はじめました。十時を過ぎると、交番に電話をかけるかどうかで迷いはじめました。わたしは、どうせまた迷っているのだろうと思って、テレビを見ていました。

十一時少し前に、玄関の戸が開きました。

姉が、ひとりで立っていました。

おまわりさんは、一緒ではありませんでした。

夕方から小雨が降っていました。姉は傘を持って出ていませんでした。それなのに、上がり框に上がってきた姉の肩は、濡れていませんでした。そのときは、どこかで雨宿りしてから帰ってきたのだろうと思いました。

「迷わへんかったん」

母が聞くと、姉は「うん」と言いました。

靴を脱いで、上がってきて、そのまま自分の部屋へ入っていきました。

次の日から、姉は迷わなくなりました。

職場へ行くのに、わたしも知らなかった近道を使うようになりました。休みの日に、隣の町まで一人で買い物に行って、一人で帰ってきました。わたしが道案内を申し出ると、「ええよ」と言いました。

一度、二人で商店街へ行った帰りに、姉がふいに、わたしの知らない路地へ入りました。人ひとりがやっと通れるような、家と家のあいだの細い道です。ついていくと、うちの裏の通りに、ちょうど出ました。

「なんで知ってんの、こんな道」

わたしが聞くと、姉は前を向いたまま言いました。

「なんとなく」

人に、道を聞かなくなりました。

母は、喜んでいました。

「就職して、しっかりしてきたんや」

わたしは、喜べませんでした。

理由は、うまく言えません。ただ、並んで歩いているときに、角に来ても姉が一度も立ち止まらないのが、なんとなく嫌でした。どっちやったかな、と言わない。わたしが袖を引く前に、もう曲がっている。

その姉が、角に来ても、前を向いたまま曲がるんです。

一度も、振り返らずに。

四 汗

八月に入って、暑い日が続きました。

姉は、汗をかかなくなりました。

ハンカチは三枚持って出るのに、帰ってくると三枚とも、朝たたんだ形のままでした。洗濯のとき、母が首をかしげていました。

姉の手は、冷たくなりました。夕飯のとき、醤油を取ってもらって、指が触れて、わたしは思わず手を引きました。真夏に、冷蔵庫から出したばかりのような手でした。

姉は、あの白い服ばかり着るようになりました。休みの日も、夜も。母が秋物を縫おうとして、寸法を測らせてほしいと言ったときも、「いらない」と言いました。

それから、言葉が変わりました。

姉は、家では「ほんまや」「迷てしもた」と、わたしや母と同じ言葉で喋る人でした。それが、あるときから、きれいな標準語で話すようになりました。「そうね」「大丈夫」「いらない」。テレビの人のような話し方です。

「会社で、そうしてるんやろ」

母は、そう言いました。

一度、駅前で、あのおまわりさんに会いました。

「お、お姉ちゃん。今日は迷てへんか」

姉は、にこりとして言いました。

「大丈夫です」

おまわりさんは、少しのあいだ姉の顔を見ていて、それから帽子のつばに手をやって、「そうか」とだけ言いました。わたしたちが通り過ぎたあとも、しばらくこちらを見ていたのを覚えています。

姉は、笑わなくなりました。笑う顔はするのですが、声が出ない。肩が揺れない。

ある日、姉の部屋のごみ箱に、紙が丸めて捨ててあるのを見つけました。広げてみると、わたしが小学生のころに描いてやった地図でした。家から学校まで、家から駅まで、家から郵便局まで。角ごとに「ここ右」「ポストのところ左」と書き込んである、鉛筆の地図です。

姉はそれを、十年以上、机の引き出しにしまっていました。

わたしは、それをしわを伸ばして、自分の机にしまいました。姉には、何も言いませんでした。

夜中に、わたしが水を飲みに起きると、姉が玄関の三和土に立っていることがありました。灯りもつけずに、白い服で、戸のほうを向いて立っている。

「何してんの」

聞くと、姉は振り返らずに言いました。

「涼んでるの」

わたしは、それ以上聞きませんでした。

母は、「就職で気ぃ張ってるんや」と言いました。わたしも、そう思うことにしました。

五 道、分かるから

八月の、お盆の少し前の夜でした。

わたしは夜中に目を覚ましました。喉が渇いていました。

そのころ、うちの玄関の灯りは、夜は消していました。ふつうの家と同じです。廊下に出ると、玄関の戸の磨りガラスが、外の街灯でうっすら白く光っていました。

その白い光の前に、姉が立っていました。

白い服を着て、白いサンダルを履いていました。戸のほうを向いていました。磨りガラスの明かりで、姉の輪郭だけが黒く浮いていました。

「どこ行くの」

わたしは、そう聞きました。

姉は、振り返りませんでした。

「大丈夫。道、分かるから」

きれいな標準語でした。

わたしは、「ふうん」と言いました。

それから、台所で水を飲んで、自分の部屋に戻って、寝ました。

眠かったんです。十七でした。姉が夜中に玄関に立っているのは、もう何度も見ていました。それに、あの人はもう、道に迷わない人になっていましたから。

戸の開く音は、聞いていません。

朝、母が玄関で、姉のサンダルがないと言っていました。

姉の部屋は、きれいに片づいていました。財布も、通帳も、化粧品も、職場の制服も、全部そのままでした。なくなっていたのは、着ていた白い服とサンダルだけです。

机の上に、ハンカチが三枚、たたんで重ねてありました。

一度も使われていない形のまま、でした。

六 灯り

母は、捜索願を出しました。

駅前の交番の、あのおまわりさんが、真っ先に来てくれました。もうだいぶ年を取っていました。

「お姉ちゃん、また迷てるんですわ。すぐ見つかります」

おまわりさんは、母にそう言いました。母は、頭を下げました。

見つかりませんでした。

町じゅうを探して、隣の町も探して、写真を持って駅という駅に貼ってもらいました。おまわりさんは、非番の日にも、姉が昔迷った道を一本ずつ歩いてくれたそうです。

母も、歩きました。

夜になると、母は近所の角という角に立って、暗いほうへ向かって、小さな声で言いました。

「こっちやで」

わたしが姉の袖を引くときの言い方と、同じでした。母は、それを一週間続けて、八日目にやめました。近所の人が、心配して止めに来たからです。

何も出てきませんでした。

その夜から、母は、玄関の灯りを消さなくなりました。

「迷わんように」

母は、それだけ言いました。

うちの玄関の灯りは、戸の上の、丸いガラスの笠のついた電球でした。母は、それが切れるたびに新しいのに替えて、台所のカレンダーのその日に、赤い鉛筆で小さな丸をつけました。

年が替わると、古いカレンダーを捨てずに、茶の間の引き出しにしまいました。

それを、四十年近く続けました。

おまわりさんは、定年で交番を離れてからも、毎年お盆の少し前になると、うちへ線香ではなく羊羹を持ってきました。線香を持ってこないのが、あの人の筋の通し方だったんだと思います。玄関で母と少し話して、灯りを見上げて、「まだ、ついとるな」と言って帰っていきました。

わたしは、そのうちに家を出るものだと思っていました。けれど、出ませんでした。勤めに出て、勤めから帰ってきて、玄関の灯りの下をくぐって家に入る。それを繰り返しているうちに、ここを離れる理由を探すのをやめていました。

一度だけ、結婚の話がありました。相手の人は、この家に住むのは構わないと言いました。そのかわり、玄関の灯りは、もう消したほうがいい、と。

話は、それで終わりました。

七 四十六年

平成に入ってしばらくして、おまわりさんが亡くなりました。

母とわたしで、葬式に行きました。奥さんが、母の手を取って言いました。

「あの人、最後まで言うてましたわ。お姉ちゃんは、まだどっかで迷てるんやて」

母は、何も言わずに頭を下げていました。

隣の家の人に、一度だけ、灯りのことを言われたことがあります。寝室の窓に明かりが入って眠れない、と。母は丁寧に謝って、それでも消しませんでした。隣の家は、厚いカーテンに替えました。何年かして、その家の子どもが、塾の帰りにうちの灯りを目印に帰ってくる、と聞きました。

母は、平成の終わりに死にました。

最後のほうは、ほとんど話せませんでした。それでも、病院のベッドで、わたしの手を握って、ひとつだけ言いました。

「灯り、消したらあかんで」

わたしは、うなずきました。

葬式のあと、茶の間の引き出しを開けました。カレンダーが、束になって入っていました。一枚ずつめくって、赤い丸を数えました。

三十一ありました。

それからは、わたしが替えました。途中で、電気屋さんに勧められて、長持ちする電球に替えました。それからは、丸はほとんどつかなくなりました。

近所では、うちは「灯りの消えへん家」と呼ばれていました。

家の前には、柿の木が一本あります。父が植えたものだと聞いています。秋になると実がなって、誰も取らないので、鳥がつつきに来ます。

三丁目の、柿の木のある家。

うちは、町ではそういうふうに通じます。

灯りの下に柿の木。四十六年、うちはそういう家でした。

八 改札

去年の、十二月の半ばです。

勤め先の用事で隣の市に出て、夕方の電車で帰ってきました。

この町の駅は小さくて、改札を出ると、すぐに駅前のロータリーです。その日は朝から冷え込んで、ロータリーの隅に、前の晩の雪が固まって残っていました。

改札を出たところで、声をかけられました。

「すみません」

女の人の声でした。

わたしは、足を止めました。

「三丁目の、柿の木のある家は、どちらですか」

きれいな、標準語でした。

わたしは、顔を上げませんでした。

上げる前に、目に入ったものがあったからです。

白い服でした。袖の短い、夏の服です。十二月の、雪の残る駅前で、コートも羽織らずに、白い夏の服を着ている。

腕が、むき出しでした。白い、寒さで赤くなってもいない腕でした。

足もとは、白いサンダルでした。凍った雪の上に、素足の指がのっていました。指先は、赤くなっていませんでした。

両手は、体の脇に下がっていました。指の一本も、動いていませんでした。

わたしは、自分の息が白く出ているのを見ていました。

目の前の人の口もとから、息は、出ていませんでした。

改札から、電車を降りた人たちが次々に出てきました。誰も、その人のほうを見ていませんでした。見ないようにして、少しだけ遠回りして、よけていくようにも見えました。

わたしは、視線を少しだけ上げました。

胸の前に、ボタンが五つ並んでいました。

三つ目だけ、少し大きいボタンでした。

駅の灯りを受けて、うっすら虹色に光っていました。

腰のあたりまで、黒い髪が下りているのが、目の端に見えていました。

わたしは、顔を見ませんでした。

答えも、しませんでした。

女の人は、急かしませんでした。黙って、わたしの返事を待っていました。

昔、角に来るたびに、わたしは姉の袖を引いて「こっち」と言いました。

その手を、コートのポケットの中で、握っていました。

わたしは、向きを変えました。

そして、三丁目とは反対のほうへ、歩きだしました。

振り返りませんでした。

九 遠回り

ロータリーの反対側に、ちょうどバスが停まっていました。

どこへ行くバスかも見ないで、乗りました。三丁目とは逆の方向へ走っていくバスでした。

終点まで乗りました。知らない団地の前でした。そこでしばらく待って、来たタクシーに乗りました。

運転手さんに家の場所を言いかけて、やめました。

二つ手前の、町の反対側の通りの名前を言いました。

走りだしてすぐ、運転手さんが、ルームミラー越しに話しかけてきました。

「今日、駅にね、夏の服の人がおってね。こんな寒いのに。お客さん、見はりました?」

わたしは、見ていません、と言いました。

「若い人やったけどなあ。ずっと改札のほうを向いて立っとって」

運転手さんは、それきり黙りました。わたしも黙っていました。

言われた通りの角で降りて、裏の細い道を、遠回りして歩きました。

角に来るたびに、わたしは立ち止まりました。右を見て、左を見て、うちへ近いほうではないほうへ曲がりました。わざと間違えながら、少しずつ家へ近づいていく。そんな歩き方をしたのは、生まれて初めてでした。

自分の家に帰るのに、あんなに道を選んだのも初めてです。

家の前に着いたのは、夜の十一時を過ぎたころでした。

通りは、真っ暗でした。まわりの家は、もうどこも灯りを落としていました。

うちの玄関だけが、灯っていました。

遠くからでも、すぐに分かりました。暗い通りの真ん中に、ひとつだけ、ぽつんと明るい場所がある。その下に、柿の木の黒い影がある。

ここです、と言っているみたいでした。

わたしは、その灯りの前に、しばらく立っていました。

姉が出ていった夜のことを、思い出していました。

大丈夫。道、分かるから。

道に迷っていたのは、姉ではなかったのかもしれません。

この灯りは、四十六年、この家はここだと、誰かに答え続けていたのかもしれません。

十 スイッチ

玄関の灯りのスイッチは、上がり框の横の柱についています。

四十六年、誰も触っていないスイッチでした。電球を替えるときも、スイッチは入れたまま、脚立に乗って替えていましたから。

プラスチックが、黄色く焼けていました。

指をかけました。

灯り、消したらあかんで。

母の声でした。病院のベッドで、わたしの手を握っていた、あの力のことを思い出していました。

固かったです。

力を入れると、ぱちん、と、思っていたより大きな音がしました。

玄関が、暗くなりました。

磨りガラスの向こうの通りも、暗くなりました。

わたしは、三和土に立ったまま、目が慣れるのを待ちました。慣れても、何も見えませんでした。四十六年、この玄関が本当に暗くなったことは、一度もなかったんです。

姉が最後に立っていたのも、この三和土でした。

台所へ行って、灯りをつけずに、椅子に座りました。

冷蔵庫の低い音だけが、していました。家の中がこんなに暗いのも、こんなに静かなのも、この家に生まれて初めてのような気がしました。

茶の間の引き出しの中のカレンダーのことを、考えていました。三十一個の、赤い丸のことです。

終章 どっちやったかな

どのくらい座っていたのか、分かりません。

外で、足音がしました。

ぺたり、ぺたり、という音でした。凍った道を、薄いものを履いた足で歩いてくる音です。

通りの向こうから、ゆっくり近づいてきて、うちの前で止まりました。

柿の木のあたりでした。

わたしは、息を止めていました。

長いこと、何の音もしませんでした。

それから、小さな声がしました。

「……どっちやったかな」

うちの言葉でした。

わたしや母と同じ、この町の言葉でした。

角に来るたびに立ち止まって、右を見て、左を見て、首をかしげて、姉が必ず言っていた言い方でした。駅で聞いた、あのきれいな標準語ではありませんでした。

昔なら、わたしは袖を引いて、「こっち」と言いました。

わたしは、台所の暗がりで、両手を膝の上で握っていました。

声は、それきりでした。

足音が、遠ざかっていったのかどうか。わたしには、分かりません。聞かないようにしていました。

わたしは、答えませんでした。

姉は、昔から、方向音痴でした。

《了》

序

姉が家を出たのは、昭和五十五年の夏でした。

姉は二十二で、わたしは十七でした。

あの夜から、うちの玄関の灯りは、ついたままになりました。母がそうしたんです。母が死んでからは、わたしがそうしてきました。

四十六年です。

去年の十二月まで、一晩も消したことはありませんでした。

この話は、その灯りを消した日のことです。

人に話すのは初めてです。話す相手が、もう、いなかったものですから。

姉のことを覚えている人は、この町にもう、ほとんど残っていません。覚えている人も、姉の顔より先に、うちの玄関の灯りを思い出すと思います。

一 方向音痴

姉は、ひどい方向音痴でした。

家から歩いて十分の小学校に、六年間通っていて、帰り道で三回迷っています。三回とも、駅前の交番のおまわりさんに連れて帰ってもらいました。三回目のとき、おまわりさんは玄関で母に頭を下げられて、困った顔で言いました。

「また、お姉ちゃんですか」

それから、そのおまわりさんとうちは、ずっとその調子でした。姉が高校を出るころには、おまわりさんのほうから「今日は、迷てへんか」と声をかけてくるようになっていました。

郵便局の前に立って、通りがかりの人に「郵便局、どこですか」と聞いたこともあります。聞かれた人は、黙って姉の後ろを指さしたそうです。姉は振り返って、「ほんまや」と言って、大笑いしました。

修学旅行では、集合場所で、よその学校のバスに乗っていました。気づいたのは向こうの先生で、姉は「みんな知らん顔やなと思てた」と言ったそうです。

姉は、よく笑う人でした。声が大きくて、笑うと肩が揺れました。

それから、道を聞くのが上手い人でした。

知らない人に、何のためらいもなく声をかける。「すみません、ちょっと迷てしもて」と、恥ずかしそうに笑う。聞かれた人は、たいてい嬉しそうに教えてくれました。わざわざ角まで一緒に歩いてくれる人もいました。

姉はお礼を言って、教えられたとおりに歩いて、それでもだいたい、また迷いました。

角に来ると、姉は必ず立ち止まりました。右を見て、左を見て、首をかしげて、それから言うんです。

「……どっちやったかな」

そして、必ず、間違ったほうへ曲がりました。

わたしは五つ下の妹でしたが、小学校の高学年になるころには、姉と出かけるときの道案内は、わたしの役目になっていました。姉が角で立ち止まると、わたしが袖を引いて、「こっち」と言う。姉は「あ、そうか」と言って、ついてくる。

「あんたがおらんかったら、お姉ちゃん、いまごろ北海道におるわ」

母はよくそう言いました。

二 三つ目のボタン

母は、家で洋裁の内職をしていました。

奥の六畳にミシンがあって、夜になると、その音が台所まで聞こえてきました。わたしも姉も、子どものころの服はほとんど母が縫ったものです。

昭和五十五年の春、姉は町の信用金庫に勤めはじめました。

最初の一週間で、二回、別の支店に出勤しています。

初出勤の朝には、駅前であのおまわりさんが待っていて、「信用金庫、どっちか分かるか」と聞いたそうです。姉は胸を張って指さして、それが反対でした。

その就職祝いに、母は姉に、白い夏の服を縫いました。袖の短い、膝の下まである、前をボタンで留める形のものです。

縫い上がってから、ボタンが一つ足りないことが分かりました。前に五つ並ぶはずが、四つしかなかったんです。

母は裁縫箱をひっくり返して、自分の古いコートからとってあった貝のボタンを出してきて、三つ目に付けました。ほかの四つより少し大きくて、光の加減で、うっすら虹色に光るボタンでした。

「お母さん、それ、違うやん」

わたしが言うと、母は糸を歯で切りながら言いました。

「一個違うほうが、なくしたとき困らん」

どういう理屈なのか、いまも分かりません。

姉は、それを気に入りました。鏡の前で三つ目のボタンを指でつついて、「ここだけ、ええとこの服みたいや」と言いました。

信用金庫の窓口で、年配のお客さんに「そのボタン、きれいやね」と褒められたそうです。姉は「母のコートのです」と答えて、お客さんに「お母さん、寒ないの」と心配されたと、夕飯のときに笑って話していました。

姉は汗っかきでもありました。夏は、ハンカチを三枚持って出かけます。一枚は顔、一枚は首、一枚は予備。帰ってくると、三枚とも絞れるくらいになっていました。

白い服を着た最初の日も、姉は帰ってくるなり、「脇、びしょびしょや」と言って笑っていました。

三 迷わない

その年の、七月の半ばのことです。

姉が、職場の人の家に呼ばれて、夜に出かけました。隣の地区の、姉が一度も行ったことのない家です。

母は、九時を過ぎたころから時計を見はじめました。十時を過ぎると、交番に電話をかけるかどうかで迷いはじめました。わたしは、どうせまた迷っているのだろうと思って、テレビを見ていました。

十一時少し前に、玄関の戸が開きました。

姉が、ひとりで立っていました。

おまわりさんは、一緒ではありませんでした。

夕方から小雨が降っていました。姉は傘を持って出ていませんでした。それなのに、上がり框に上がってきた姉の肩は、濡れていませんでした。そのときは、どこかで雨宿りしてから帰ってきたのだろうと思いました。

「迷わへんかったん」

母が聞くと、姉は「うん」と言いました。

靴を脱いで、上がってきて、そのまま自分の部屋へ入っていきました。

次の日から、姉は迷わなくなりました。

職場へ行くのに、わたしも知らなかった近道を使うようになりました。休みの日に、隣の町まで一人で買い物に行って、一人で帰ってきました。わたしが道案内を申し出ると、「ええよ」と言いました。

一度、二人で商店街へ行った帰りに、姉がふいに、わたしの知らない路地へ入りました。人ひとりがやっと通れるような、家と家のあいだの細い道です。ついていくと、うちの裏の通りに、ちょうど出ました。

「なんで知ってんの、こんな道」

わたしが聞くと、姉は前を向いたまま言いました。

「なんとなく」

人に、道を聞かなくなりました。

母は、喜んでいました。

「就職して、しっかりしてきたんや」

わたしは、喜べませんでした。

理由は、うまく言えません。ただ、並んで歩いているときに、角に来ても姉が一度も立ち止まらないのが、なんとなく嫌でした。どっちやったかな、と言わない。わたしが袖を引く前に、もう曲がっている。

その姉が、角に来ても、前を向いたまま曲がるんです。

一度も、振り返らずに。

四 汗

八月に入って、暑い日が続きました。

姉は、汗をかかなくなりました。

ハンカチは三枚持って出るのに、帰ってくると三枚とも、朝たたんだ形のままでした。洗濯のとき、母が首をかしげていました。

姉の手は、冷たくなりました。夕飯のとき、醤油を取ってもらって、指が触れて、わたしは思わず手を引きました。真夏に、冷蔵庫から出したばかりのような手でした。

姉は、あの白い服ばかり着るようになりました。休みの日も、夜も。母が秋物を縫おうとして、寸法を測らせてほしいと言ったときも、「いらない」と言いました。

それから、言葉が変わりました。

姉は、家では「ほんまや」「迷てしもた」と、わたしや母と同じ言葉で喋る人でした。それが、あるときから、きれいな標準語で話すようになりました。「そうね」「大丈夫」「いらない」。テレビの人のような話し方です。

「会社で、そうしてるんやろ」

母は、そう言いました。

一度、駅前で、あのおまわりさんに会いました。

「お、お姉ちゃん。今日は迷てへんか」

姉は、にこりとして言いました。

「大丈夫です」

おまわりさんは、少しのあいだ姉の顔を見ていて、それから帽子のつばに手をやって、「そうか」とだけ言いました。わたしたちが通り過ぎたあとも、しばらくこちらを見ていたのを覚えています。

姉は、笑わなくなりました。笑う顔はするのですが、声が出ない。肩が揺れない。

ある日、姉の部屋のごみ箱に、紙が丸めて捨ててあるのを見つけました。広げてみると、わたしが小学生のころに描いてやった地図でした。家から学校まで、家から駅まで、家から郵便局まで。角ごとに「ここ右」「ポストのところ左」と書き込んである、鉛筆の地図です。

姉はそれを、十年以上、机の引き出しにしまっていました。

わたしは、それをしわを伸ばして、自分の机にしまいました。姉には、何も言いませんでした。

夜中に、わたしが水を飲みに起きると、姉が玄関の三和土に立っていることがありました。灯りもつけずに、白い服で、戸のほうを向いて立っている。

「何してんの」

聞くと、姉は振り返らずに言いました。

「涼んでるの」

わたしは、それ以上聞きませんでした。

母は、「就職で気ぃ張ってるんや」と言いました。わたしも、そう思うことにしました。

五 道、分かるから

八月の、お盆の少し前の夜でした。

わたしは夜中に目を覚ましました。喉が渇いていました。

そのころ、うちの玄関の灯りは、夜は消していました。ふつうの家と同じです。廊下に出ると、玄関の戸の磨りガラスが、外の街灯でうっすら白く光っていました。

その白い光の前に、姉が立っていました。

白い服を着て、白いサンダルを履いていました。戸のほうを向いていました。磨りガラスの明かりで、姉の輪郭だけが黒く浮いていました。

「どこ行くの」

わたしは、そう聞きました。

姉は、振り返りませんでした。

「大丈夫。道、分かるから」

きれいな標準語でした。

わたしは、「ふうん」と言いました。

それから、台所で水を飲んで、自分の部屋に戻って、寝ました。

眠かったんです。十七でした。姉が夜中に玄関に立っているのは、もう何度も見ていました。それに、あの人はもう、道に迷わない人になっていましたから。

戸の開く音は、聞いていません。

朝、母が玄関で、姉のサンダルがないと言っていました。

姉の部屋は、きれいに片づいていました。財布も、通帳も、化粧品も、職場の制服も、全部そのままでした。なくなっていたのは、着ていた白い服とサンダルだけです。

机の上に、ハンカチが三枚、たたんで重ねてありました。

一度も使われていない形のまま、でした。

六 灯り

母は、捜索願を出しました。

駅前の交番の、あのおまわりさんが、真っ先に来てくれました。もうだいぶ年を取っていました。

「お姉ちゃん、また迷てるんですわ。すぐ見つかります」

おまわりさんは、母にそう言いました。母は、頭を下げました。

見つかりませんでした。

町じゅうを探して、隣の町も探して、写真を持って駅という駅に貼ってもらいました。おまわりさんは、非番の日にも、姉が昔迷った道を一本ずつ歩いてくれたそうです。

母も、歩きました。

夜になると、母は近所の角という角に立って、暗いほうへ向かって、小さな声で言いました。

「こっちやで」

わたしが姉の袖を引くときの言い方と、同じでした。母は、それを一週間続けて、八日目にやめました。近所の人が、心配して止めに来たからです。

何も出てきませんでした。

その夜から、母は、玄関の灯りを消さなくなりました。

「迷わんように」

母は、それだけ言いました。

うちの玄関の灯りは、戸の上の、丸いガラスの笠のついた電球でした。母は、それが切れるたびに新しいのに替えて、台所のカレンダーのその日に、赤い鉛筆で小さな丸をつけました。

年が替わると、古いカレンダーを捨てずに、茶の間の引き出しにしまいました。

それを、四十年近く続けました。

おまわりさんは、定年で交番を離れてからも、毎年お盆の少し前になると、うちへ線香ではなく羊羹を持ってきました。線香を持ってこないのが、あの人の筋の通し方だったんだと思います。玄関で母と少し話して、灯りを見上げて、「まだ、ついとるな」と言って帰っていきました。

わたしは、そのうちに家を出るものだと思っていました。けれど、出ませんでした。勤めに出て、勤めから帰ってきて、玄関の灯りの下をくぐって家に入る。それを繰り返しているうちに、ここを離れる理由を探すのをやめていました。

一度だけ、結婚の話がありました。相手の人は、この家に住むのは構わないと言いました。そのかわり、玄関の灯りは、もう消したほうがいい、と。

話は、それで終わりました。

七 四十六年

平成に入ってしばらくして、おまわりさんが亡くなりました。

母とわたしで、葬式に行きました。奥さんが、母の手を取って言いました。

「あの人、最後まで言うてましたわ。お姉ちゃんは、まだどっかで迷てるんやて」

母は、何も言わずに頭を下げていました。

隣の家の人に、一度だけ、灯りのことを言われたことがあります。寝室の窓に明かりが入って眠れない、と。母は丁寧に謝って、それでも消しませんでした。隣の家は、厚いカーテンに替えました。何年かして、その家の子どもが、塾の帰りにうちの灯りを目印に帰ってくる、と聞きました。

母は、平成の終わりに死にました。

最後のほうは、ほとんど話せませんでした。それでも、病院のベッドで、わたしの手を握って、ひとつだけ言いました。

「灯り、消したらあかんで」

わたしは、うなずきました。

葬式のあと、茶の間の引き出しを開けました。カレンダーが、束になって入っていました。一枚ずつめくって、赤い丸を数えました。

三十一ありました。

それからは、わたしが替えました。途中で、電気屋さんに勧められて、長持ちする電球に替えました。それからは、丸はほとんどつかなくなりました。

近所では、うちは「灯りの消えへん家」と呼ばれていました。

家の前には、柿の木が一本あります。父が植えたものだと聞いています。秋になると実がなって、誰も取らないので、鳥がつつきに来ます。

三丁目の、柿の木のある家。

うちは、町ではそういうふうに通じます。

灯りの下に柿の木。四十六年、うちはそういう家でした。

八 改札

去年の、十二月の半ばです。

勤め先の用事で隣の市に出て、夕方の電車で帰ってきました。

この町の駅は小さくて、改札を出ると、すぐに駅前のロータリーです。その日は朝から冷え込んで、ロータリーの隅に、前の晩の雪が固まって残っていました。

改札を出たところで、声をかけられました。

「すみません」

女の人の声でした。

わたしは、足を止めました。

「三丁目の、柿の木のある家は、どちらですか」

きれいな、標準語でした。

わたしは、顔を上げませんでした。

上げる前に、目に入ったものがあったからです。

白い服でした。袖の短い、夏の服です。十二月の、雪の残る駅前で、コートも羽織らずに、白い夏の服を着ている。

腕が、むき出しでした。白い、寒さで赤くなってもいない腕でした。

足もとは、白いサンダルでした。凍った雪の上に、素足の指がのっていました。指先は、赤くなっていませんでした。

両手は、体の脇に下がっていました。指の一本も、動いていませんでした。

わたしは、自分の息が白く出ているのを見ていました。

目の前の人の口もとから、息は、出ていませんでした。

改札から、電車を降りた人たちが次々に出てきました。誰も、その人のほうを見ていませんでした。見ないようにして、少しだけ遠回りして、よけていくようにも見えました。

わたしは、視線を少しだけ上げました。

胸の前に、ボタンが五つ並んでいました。

三つ目だけ、少し大きいボタンでした。

駅の灯りを受けて、うっすら虹色に光っていました。

腰のあたりまで、黒い髪が下りているのが、目の端に見えていました。

わたしは、顔を見ませんでした。

答えも、しませんでした。

女の人は、急かしませんでした。黙って、わたしの返事を待っていました。

昔、角に来るたびに、わたしは姉の袖を引いて「こっち」と言いました。

その手を、コートのポケットの中で、握っていました。

わたしは、向きを変えました。

そして、三丁目とは反対のほうへ、歩きだしました。

振り返りませんでした。

九 遠回り

ロータリーの反対側に、ちょうどバスが停まっていました。

どこへ行くバスかも見ないで、乗りました。三丁目とは逆の方向へ走っていくバスでした。

終点まで乗りました。知らない団地の前でした。そこでしばらく待って、来たタクシーに乗りました。

運転手さんに家の場所を言いかけて、やめました。

二つ手前の、町の反対側の通りの名前を言いました。

走りだしてすぐ、運転手さんが、ルームミラー越しに話しかけてきました。

「今日、駅にね、夏の服の人がおってね。こんな寒いのに。お客さん、見はりました?」

わたしは、見ていません、と言いました。

「若い人やったけどなあ。ずっと改札のほうを向いて立っとって」

運転手さんは、それきり黙りました。わたしも黙っていました。

言われた通りの角で降りて、裏の細い道を、遠回りして歩きました。

角に来るたびに、わたしは立ち止まりました。右を見て、左を見て、うちへ近いほうではないほうへ曲がりました。わざと間違えながら、少しずつ家へ近づいていく。そんな歩き方をしたのは、生まれて初めてでした。

自分の家に帰るのに、あんなに道を選んだのも初めてです。

家の前に着いたのは、夜の十一時を過ぎたころでした。

通りは、真っ暗でした。まわりの家は、もうどこも灯りを落としていました。

うちの玄関だけが、灯っていました。

遠くからでも、すぐに分かりました。暗い通りの真ん中に、ひとつだけ、ぽつんと明るい場所がある。その下に、柿の木の黒い影がある。

ここです、と言っているみたいでした。

わたしは、その灯りの前に、しばらく立っていました。

姉が出ていった夜のことを、思い出していました。

大丈夫。道、分かるから。

道に迷っていたのは、姉ではなかったのかもしれません。

この灯りは、四十六年、この家はここだと、誰かに答え続けていたのかもしれません。

十 スイッチ

玄関の灯りのスイッチは、上がり框の横の柱についています。

四十六年、誰も触っていないスイッチでした。電球を替えるときも、スイッチは入れたまま、脚立に乗って替えていましたから。

プラスチックが、黄色く焼けていました。

指をかけました。

灯り、消したらあかんで。

母の声でした。病院のベッドで、わたしの手を握っていた、あの力のことを思い出していました。

固かったです。

力を入れると、ぱちん、と、思っていたより大きな音がしました。

玄関が、暗くなりました。

磨りガラスの向こうの通りも、暗くなりました。

わたしは、三和土に立ったまま、目が慣れるのを待ちました。慣れても、何も見えませんでした。四十六年、この玄関が本当に暗くなったことは、一度もなかったんです。

姉が最後に立っていたのも、この三和土でした。

台所へ行って、灯りをつけずに、椅子に座りました。

冷蔵庫の低い音だけが、していました。家の中がこんなに暗いのも、こんなに静かなのも、この家に生まれて初めてのような気がしました。

茶の間の引き出しの中のカレンダーのことを、考えていました。三十一個の、赤い丸のことです。

終章 どっちやったかな

どのくらい座っていたのか、分かりません。

外で、足音がしました。

ぺたり、ぺたり、という音でした。凍った道を、薄いものを履いた足で歩いてくる音です。

通りの向こうから、ゆっくり近づいてきて、うちの前で止まりました。

柿の木のあたりでした。

わたしは、息を止めていました。

長いこと、何の音もしませんでした。

それから、小さな声がしました。

「……どっちやったかな」

うちの言葉でした。

わたしや母と同じ、この町の言葉でした。

角に来るたびに立ち止まって、右を見て、左を見て、首をかしげて、姉が必ず言っていた言い方でした。駅で聞いた、あのきれいな標準語ではありませんでした。

昔なら、わたしは袖を引いて、「こっち」と言いました。

わたしは、台所の暗がりで、両手を膝の上で握っていました。

声は、それきりでした。

足音が、遠ざかっていったのかどうか。わたしには、分かりません。聞かないようにしていました。

わたしは、答えませんでした。

姉は、昔から、方向音痴でした。

《了》

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徴候だけが残り、その人は帰ってこない。肆ノ型「気」。

「気」は、徴候だけがあって、原因が来ない型です。汗をかかなくなった。手が冷たくなった。道に迷わなくなった。言葉が変わった。どれも、それだけなら、大人になったと言える。家族は、そう言うことにしました。徴候は、名前を持たないうちは、家の中で一緒に暮らせます。原因は最後まで名乗らないまま、その人は戸口に立ち、ある夜、出ていきました。残った者にできたのは、灯りをつけておくことだけでした。灯りは、帰り道を照らす。帰ってくるものが誰なのかは、照らさない。

この庫は、語られるたびに増えていく。
あなたが視たもの、聞いたもの、腑に落ちないまま抱えているもの。
それも、まだ名前のつかない一篇かもしれません。

奇譚を寄せる
研

研一

依代師ユニバースの作者。連載小説「泉京介の憂鬱」、「黒竜人」シリーズを執筆。