序
カフェ・ブラジルという喫茶店を、平成三年まで、この街でやっていました。
父から継いだ店です。わたしで二代目でした。いまはコインパーキングになっています。
あの店に、毎日ミルクセーキを飲みに来る坊さんがいました。
わたしがあの人にミルクセーキを作ったのは、十六年ほどです。継ぐ前から来ていた人でしたから、父の代を入れると、もっと長い。
十六年のあいだ、わたしは一度も、なんでミルクセーキなんですかと聞きませんでした。
無愛想な男だったからです。
——というのは、いま思えば、嘘です。
聞かなかったのは、あの人が、聞かれたくなさそうだったからです。
わたしはそれに気づいていて、気づかないふりをして、十六年、黙って作っていました。
この話を人にするのは、これが初めてです。
弟が去年死んで、あの店を知っている人間が、わたしひとりになりました。
一 薄いコーヒー
うちのコーヒーは薄い、とよく言われました。
言われるたびに、わたしは黙っていました。豆を惜しんでいたわけではありません。父がそう淹れていたので、そう淹れていただけです。
それでも常連は来ました。ほかに行くところがなかったんだと思います。飲屋街の外れで、昼から夜まで開いていて、誰も話しかけてこない店というのは、あのころ、案外貴重でした。
カウンターの奥でレコードを回して、壁には南国の写真が貼ってありました。行ったこともない土地の写真です。父が誰かにもらったものだと聞いています。ヤニで飴色になっていて、海の青が、年々、茶色くなっていきました。
坊さんは、決まって夕方に来ました。
六十手前だったと思います。袈裟を着て、胸元に大きな数珠を下げていました。口は重い。挨拶もしません。カウンターのいちばん端に座って、ミルクセーキを一杯飲んで、金を置いて帰る。それだけです。
「視える人らしいで」という噂は、飲屋街に流れていました。わたしはそういう話を信じていませんでしたし、興味もありませんでした。うちの店にとっては、静かに座って毎日一杯飲んでいく客というだけで、じゅうぶんありがたい人です。
あの人には癖がひとつありました。
座ると、胸の数珠を外して、カウンターに置くんです。
いつも同じ場所に、輪のまま。それから飲んで、帰るときにまた首にかける。
黒っぽい、大ぶりの玉でした。よく使い込まれていて、ところどころ、角が丸くなっていました。
ある日、暇だったので、わたしはそれを数えました。
客はほかにおらず、坊さんは便所に立っていて、数珠はカウンターに置いたままでした。触るのも悪い気がしたので、指の先で押しながら、ひとつずつずらして数えました。
百八ありました。
そういうものなのかもしれません。わたしは仏具のことは何も知りません。ただ、数え終わったときに、多いな、と思ったのは覚えています。
顔を上げたら、坊さんが戻ってきていて、それを見ていました。
わたしは何も言いませんでした。あの人も何も言いませんでした。ただ数珠を取って、首にかけて、また座って、ミルクセーキの続きを飲みました。
それだけの話です。
わたしはその日から、あの数珠に触れませんでした。
二 卵を二つ
坊さんは、わたしが店を継ぐ前から来ていました。
父に一度、あの坊さんは何なんや、と聞いたことがあります。父は「知らん」と言いました。それで終わりです。うちはそういう店で、うちはそういう家でした。
昭和五十年代の半ばだったと思います。
いつものように出そうとしたら、坊さんが、カウンター越しに言いました。
「あんた」
声をかけられたのは、それが初めてでした。八年ほど作っていて、初めてです。
「はい」
「卵な。二個にしてくれるか」
わたしは、少し考えました。ミルクセーキの卵は一個です。二個にすると味が変わります。濃くなって、甘さが立たなくなる。正直、うまくはありません。
「二個ですか」
「二個や」
「味、変わりますよ」
「かまへん」
坊さんは、それから付け足しました。
「銭は、同じでええ」
わたしは「いや、そら」と言いかけて、やめました。
この人は値切っているのでも、得をしようとしているのでもない、と分かったからです。卵の数の話だけをしている、という感じでした。
結局、値段は据え置きました。卵一個で商売がどうこうなるほど、うちは繁盛していませんでしたし、あの人は十六年、一日も欠かさず来ていましたから、こちらが得をしていました。
その日から、坊さんのミルクセーキは卵二個になりました。
わたしは一度、味見をしてみたことがあります。
うまくありませんでした。生臭くて、重い。冷やしても、卵が喉に残ります。飲んだあと、しばらく口の中がぬるつく。あれを毎日飲むのは苦行だろうと思いました。
坊さんは、うまそうに飲んだことが一度もありません。
いつも、三口か四口で、一気に飲み下していました。グラスを置くときに、必ず、小さく息を吐きました。
薬を飲む人の飲み方でした。
常連の一人に「あの坊さん、なに飲んでんの」と聞かれたことがあります。
「ミルクセーキです」
「あの人が?」
「はい」
「似合わんなあ」
似合いません。わたしもそう思っていました。
三 あの夏
昭和五十九年の夏のことです。
弟が、手伝いに来ていました。もともと別の仕事をしていたのが、その年の春に辞めて、ぶらぶらしていたので、店に呼んだんです。皿を洗って、氷を割って、たまに客と喋る。うちの店で唯一、客と喋れる人間でした。
その日の夕方、常連の若い子が、駐車場の先輩と一緒に来ていました。十九か二十の学生と、三十過ぎの、体の大きな人です。よく二人で来ていました。
その大きいほうの人が、その夏、みるみる痩せていました。
わたしは無愛想ですが、客の顔は見ています。二週間で人相が変わる人間というのは、そうそういません。だからその日、アイスコーヒーを運んだときに、一言だけ言いました。
「あんた、痩せたな」
それだけ言って、戻りました。
いま思えば、あれがわたしの、精いっぱいでした。
その夕方、坊さんが来て、あの二人と同じテーブルに座りました。何か話していましたが、わたしはカウンターの内側にいたので、聞いていません。
三日後、その大きい人が、女を連れてきました。
白いワンピースに、腰までの黒髪の人でした。
わたしはその人に水を出しました。手をつけませんでした。それだけです。あとは何も覚えていません。覚えていないというより、見ていませんでした。カウンターの内側で、氷を割っていました。
坊さんが入ってきて、扉が閉まって、それから、悲鳴が上がりました。
顔を上げたときには、女が立ち上がって、叫んでいました。人の声ではありませんでした。
弟が、その腕を掴みに行きました。
止めようとしたんだと思います。うちの店で、うちの客が暴れているので、止めに行った。それだけのことです。
わたしは、掴むな、と言いませんでした。
言えるはずもありません。一秒もなかったんですから。
それでもわたしは、その一秒を、四十年考えています。
弟が厨房へ走り込んできました。すれ違いざまに、顔を見ました。
笑っていました。
そのあとのことは、順番がめちゃくちゃです。包丁と、血と、誰かがひっくり返したテーブルと、床に散らばった氷。学生の子が、腰を抜かして座り込んでいました。女が、その中を、まっすぐ歩いて出ていきました。
坊さんは、立ち上がりませんでした。
わたしは、弟の右手を、タオルで押さえていました。
四 左手
店は、三日休みました。
床を洗って、割れたものを片づけて、テーブルを一つ買い替えました。血は、拭けば落ちます。四日目には、何もなかったような店になりました。
弟は、命は助かりました。
右手は、戻りませんでした。指は動きます。ただ、力が入らない。物を握れない。医者は「神経が」と言っていましたが、わたしにはよく分かりませんでした。
退院してしばらく、弟は右手をポケットに入れて歩いていました。
一度だけ、聞きました。
「痛むんか」
「痛ないわ」
「ほな、なんでポケットに入れとんねん」
「ぶらぶらすんのが、気色悪いねん」
それきり、その話はしませんでした。
わたしは、弟を店に呼んだのは自分だ、と何度も思いました。呼ばなければ、あの日あそこにいなかった。それを言おうとして、言えませんでした。言えば、弟が「兄貴のせいちゃう」と言うに決まっていて、そう言わせるのが、いちばん卑怯だと思ったからです。
だから、もう来なくていい、と言うつもりでいました。
その言葉を用意して待っていたら、弟のほうが先に、カウンターの内側に入ってきました。
そして、左手でコーヒーを淹れました。
わたしはそれを見ていました。ぎこちなくて、遅くて、湯が細すぎて、見ていられませんでした。豆の上で湯を回すのに、ふつうの倍かかっていました。
出てきたコーヒーを飲んで、わたしは黙りました。
うまかったんです。
「兄貴の淹れ方が下手やっただけや」
弟はそう言って、笑いました。
その日から、うちのコーヒーは弟が淹れることになりました。
常連が増えました。「ここ、うまなったな」と言われるたびに、わたしは黙っていました。「兄ちゃん、やっと本気出したか」と言われたときも、黙っていました。
二十年やってきて、わたしが店に入れた改良は、それだけです。
弟の右手が、そのぶんの代金でした。
五 卵を三つ
あの夏の、半月ほどあとです。
坊さんが、また来るようになりました。
事件のあと、しばらく姿を見せませんでした。来なくなるだろうと思っていました。あんなことがあった店です。もっと言えば、あの騒ぎのきっかけを作ったのは、あの人が呼んだからだ、と言う客もいました。
でも来ました。
夕方、いつもの時間に扉が開いて、いつもの端の席に座って、数珠をカウンターに置きました。
店の中が、少し静かになりました。
弟は、厨房から出てきませんでした。
わたしがミルクセーキを作ろうとしたら、坊さんが言いました。
「あんた」
「はい」
「卵な」
わたしは冷蔵庫の前で、手を止めました。
「三個にしてくれるか」
わたしは、坊さんの顔を見ました。
あの人は、こちらを見ていませんでした。カウンターの木目を見ていました。
「……三個ですか」
「三個や」
「もっと、まずなりますよ」
「かまへん」
わたしは、卵を三つ割りました。
三つ入れると、色が変わります。黄色が濃くなって、白い飲み物ではなくなる。混ぜているときから、においが立ちました。
出したものを、坊さんは三口で飲み下しました。喉が鳴りました。
飲み終わったあと、しばらく口を押さえていました。
グラスの底に、卵の筋が残っていました。わたしはそれを洗いながら、こういうものを毎日飲む人間の腹の中を、少し考えました。
聞きませんでした。
いま考えれば、あのとき聞くべきでした。
でも、あのときのわたしにとって、それは「注文が変わった」というだけの出来事です。客の好みが変わることなど、いくらでもあります。歳を取って濃いものが欲しくなったんだろう、くらいに思っていました。
卵が一つ増えた。
それだけの話でした。
六 四年目
坊さんが痩せはじめたのは、昭和六十二年の暮れごろだったと思います。
最初は、そんなものかと思いました。もう六十を越えている人です。年寄りは痩せます。冬は誰でも顔色が悪い。
けれど、年が明けてから、明らかに変わりました。
袈裟が、余るんです。肩のところが落ちて、首が細くなって、そのぶん、胸元の数珠だけが前と同じ大きさで下がっている。着ているものと下げているものだけが元のままで、中身が減っていく。そういう見え方でした。
春になると、座るときにカウンターに手をついて、腰を落とすようになりました。
立つときは、もっと時間がかかりました。
常連の一人が、帰り際に言いました。
「あの坊さん、あかんのちゃうか」
「そうですか」
「そうですかて、あんた」
わたしは布巾を動かしていました。それが、わたしの返事です。
あの夏の、大きな人と同じ順番でした。
疲れる。顔色が悪くなる。歩くのが遅くなる。
わたしはそれを、カウンターの内側から見ていました。
一度、袖から手首が出たときに、目を凝らしました。
斑点は、ありませんでした。
あの夏、大きな人の腕には、黒い斑点が浮いていたそうです。学生の子が、あとで話してくれました。虫刺されでもあざでもない、墨を数滴落としたような、輪郭のはっきりしない黒だったと。
坊さんの腕は、ただ細いだけでした。皮膚は、きれいなものでした。年寄りの、乾いた、うすい皮膚です。
わたしは、そのとき、なぜか安心したんです。
違う。あの人とは違う。だからこれは、ただの老いだ。そう思いました。
いま思えば、あんな都合のいい安心の仕方はありません。
あんた、痩せたな。
その一言を、わたしは何度も言おうとしました。
あの夏、大きな人に言ったのと、同じ一言です。
言いませんでした。
言えば、何かが決まってしまう気がしたからです。
わたしは無愛想な男ですが、無愛想な人間は、口が重いのではありません。言わずに済ませる理由を、見つけるのが上手いだけです。
七 コーヒー、もらおか
昭和六十三年の、春先です。
いつものように坊さんが座って、わたしがいつものように卵を三つ出そうとしたら、言われました。
「あんた」
「はい」
「コーヒー、もらおか」
わたしは、卵を持ったまま、しばらく動けませんでした。
十六年です。十六年、この人はミルクセーキしか頼まなかった。
「……コーヒー、ですか」
「そう」
「うち、薄いですよ」
「知っとる」
わたしは卵を冷蔵庫に戻して、弟にコーヒーを淹れさせました。弟が左手で、ゆっくり湯を落としました。あの日は、いつもより長くかかったように思います。
出したものを、坊さんは一口飲んで、初めて、笑いました。
十六年で、初めてです。
「うまいな、これ」
わたしは、何と返せばいいのか分かりませんでした。うまいはずがないんです。うちのコーヒーは薄い。弟が淹れるようになって多少ましになりましたが、それでも薄い。
「……薄いでしょう」
「薄いのがええねん」
坊さんは、そう言って、また一口飲みました。
ゆっくり飲んでいました。三口で飲み下す人ではありませんでした。
それから三月ほど、坊さんはコーヒーしか頼みませんでした。
毎日来て、薄いコーヒーを一杯、時間をかけて飲んで、帰る。
店にいる時間が、長くなりました。
前は十分ほどで出ていった人が、一時間近く座っているようになりました。何をするでもなく、レコードのかかっているほうを向いて、たまに壁の南国の写真を見ていました。
わたしはそのあいだ、グラスを磨いていました。
話しかけようとは思いませんでした。うちはそういう店です。
そのあいだに、あの人はもっと痩せました。
わたしは、卵を買う数を減らしました。
八 勘定
最後に来た日のことは、よく覚えています。
六月の、蒸し暑い夕方でした。表の道に打ち水の跡があって、それがもう乾きかけていました。
坊さんは、いつもの端の席に座って、数珠を外して、カウンターに置きました。
注文をしませんでした。
わたしが水を出しても、手をつけませんでした。
弟が厨房から出てきて、カウンターの向こうを通りました。
坊さんは、その右手を見ていました。
弟が氷を出して、戻っていくまで、ずっと見ていました。ぶら下がったまま動かない、あの右手です。
それから、独り言のように言いました。
「あんたの弟な。運がええで」
あの夏にも、同じことを言ったそうです。学生の子から聞いていました。手一本で済んだんだから運がいい、という意味だと、わたしはずっと思っていました。
「……そら、まあ」
「ほんまに、運がええ」
二度目のほうが、静かでした。
坊さんは、袂から封筒を出して、カウンターに置きました。
「勘定、まとめて置いとくわ」
「いや、あの人、毎日もろてますけど」
「ええから」
「困りますわ」
「困っといてくれ」
それだけ言って、坊さんは立ち上がりました。
手をついて、腰を落として、立ち上がるのに、しばらくかかりました。わたしは、手を貸しませんでした。貸されるのを嫌がる人だと思っていたからです。
数珠を取って、首にかけて、扉のほうへ歩いていきました。
わたしは、その背中に、言おうとしました。
あんた、痩せたな。
言いませんでした。
扉が閉まって、鈴が鳴って、それきりでした。
封筒は、レジの下に入れました。あとで数えるつもりでした。
それが、あの人を見た最後です。
九 南の土地
訃報は、噂で来ました。
うちの常連の一人が、七月の頭に、カウンターで喋っていたんです。あの坊さん、死んだらしいで、と。
わたしは布巾を動かす手を止めませんでした。
「どこで」
「それがな」
常連は、身を乗り出しました。こういう話が好きな男でした。
「こっちちゃうねん。ずっと南のほうや。海の近くの、なんちゅうたかな、そういう土地でな。そこの道端で倒れとったらしい」
「南」
「そう。誰も、なんで行っとったんか分からんて」
その人には、寺も家も、この街にありました。用事があるとも聞いていませんでした。年寄りが、ひとりで、あんな体で、そんな遠くまで行く理由がない。
「病気か」
「さあ。倒れとっただけやから、心臓ちゃうかて言うとったわ」
常連は、それから、思い出したように付け足しました。
「あ、そや。おもろい話があってな」
「なんや」
「ポケットに切符が入っとったらしいわ。それが、行きだけやねんて」
わたしは、布巾を止めました。
「帰りは」
「無い」
「無い」
「無いねん。財布には銭も入っとったのに、行きの切符だけ買うとった。買い忘れやろて言う人もおるけど、あの歳であれやろ。ふつう、往復で買うわなあ」
わたしは、何も言いませんでした。
常連は、もう一つ喋りました。これは、その人が誰かから聞いた話の、また聞きだったと思います。
「それとな、あの数珠あるやろ。胸に下げとったごっついやつ」
「ある」
「あれ、玉が一個も残っとらんかったらしいで」
「玉が」
「糸が切れて、全部落ちたんちゃうかて。せやけど、そこらに落ちてたわけでもないらしいねん。紐だけ、首にかかっとったて」
常連は、笑っていました。怖い話をしているつもりだったんだと思います。
わたしは、布巾を絞って、それを片づけました。
その日、わたしは店を閉めてから、封筒を開けました。
六月からずっと、レジの下に入れっぱなしにしていたものです。
中は、金でした。
数えました。何度も数えました。うちのミルクセーキの値段で、きっちり割り切れる額です。端数はありませんでした。
百八杯分ありました。
わたしは、そのとき何も思いませんでした。
多すぎる、と思っただけです。
十 百八杯
次の日から、わたしは毎日、ミルクセーキを一杯作りました。
卵は三つ入れました。
作って、カウンターのいちばん端に置きました。
誰も飲みません。夜、店を閉めるときに、流しに捨てました。
なんでそんなことをしたのか、いまでもうまく説明できません。
銭をもらったからです。もらった分は出す。商売とはそういうものです。——というのは、たぶん、後から自分でつけた理屈です。
ほんとうのところは、そうしないといけない気がした、というだけでした。
常連に何度も聞かれました。
「なんやそれ」
「知らん」
「知らんて、あんたが作っとんねやろ」
「そうやな」
それで、みんな聞かなくなりました。うちはそういう店です。
弟だけは、一度も聞きませんでした。
毎日、わたしがそれを作って端に置いて、夜に捨てるのを、左手でコーヒーを淹れながら、黙って見ていました。
一度だけ、洗い物をしながら、独り言のように言ったことがあります。
「三つも入れとったんやな、あの人」
「そうや」
「ようあんなもん、毎日飲めたな」
それだけです。わたしも、それだけ返しました。
「ようあんなもん、毎日出しとったわ」
百八日で、封筒の金は尽きました。
わたしは、作り続けました。
平成三年に店を閉めるまで、三年ほど、毎日一杯です。
閉店の日、最後の客を送り出して、看板を下ろして、厨房を片づけました。
冷蔵庫に、卵が三つ残っていました。
わたしは、それを作りませんでした。
三つとも、そのまま袋に入れて、家に持って帰りました。
なんとなく、もう、いいだろうと思ったんです。
それから三十年あまり、何も起きませんでした。
終章 卵
去年、弟が死にました。
八十を二つ越えていました。最後まで右手は戻りませんでしたが、最後まで、左手でコーヒーを淹れていました。店を閉めたあとも、家で淹れていました。近所の年寄りが、それを飲みに来ていました。
葬式が終わって、家に帰って、わたしは久しぶりに台所に立ちました。
誰に言われたわけでもありません。ただ、そうしたくなったんです。
ミキサーを出して、牛乳と、砂糖と、氷を入れました。三十年以上ぶりでしたが、手が覚えていました。
冷蔵庫から、卵を出しました。
一つ、割りました。
二つ、割りました。
三つ目に、手が伸びていました。
わたしは、しばらく、その手を見ていました。
十六年、わたしは一度も、なんでミルクセーキなんですかと聞きませんでした。
いまは、聞かなくても分かります。
あの人は、ずっと、何かに餌をやっていたんです。
二つで足りていたものが、あの夏から三つになりました。弟の右手から出ていったものが、あの日どこへ行ったのか、わたしはずっと考えないようにしてきました。
最後の三月、あの人は餌をやるのをやめました。
腹をすかせたものは、出ていきます。出ていくときに、入れものは死にます。
だからあの人は、出ていく先を選んで、自分の足で、南の海に近い土地まで歩いていったんです。
行きの切符だけを買って。
あの人は、祓ってなどいませんでした。
切って、追い出して、そのつど、自分で引き取っていただけです。
首から下げていた玉の数だけ、預かって歩いて、最後に、全部そこへ置いてきた。
だから紐だけが、残っていた。
——では、いま。
わたしの手が三つ目の卵に伸びたのは、いつからのことなのか。
わたしには、分かりません。
あの人はもう、いません。
聞ける相手が、いないんです。
わたしは、三つ目の卵を、割りました。
《了》
序
カフェ・ブラジルという喫茶店を、平成三年まで、この街でやっていました。
父から継いだ店です。わたしで二代目でした。いまはコインパーキングになっています。
あの店に、毎日ミルクセーキを飲みに来る坊さんがいました。
わたしがあの人にミルクセーキを作ったのは、十六年ほどです。継ぐ前から来ていた人でしたから、父の代を入れると、もっと長い。
十六年のあいだ、わたしは一度も、なんでミルクセーキなんですかと聞きませんでした。
無愛想な男だったからです。
——というのは、いま思えば、嘘です。
聞かなかったのは、あの人が、聞かれたくなさそうだったからです。
わたしはそれに気づいていて、気づかないふりをして、十六年、黙って作っていました。
この話を人にするのは、これが初めてです。
弟が去年死んで、あの店を知っている人間が、わたしひとりになりました。
一 薄いコーヒー
うちのコーヒーは薄い、とよく言われました。
言われるたびに、わたしは黙っていました。豆を惜しんでいたわけではありません。父がそう淹れていたので、そう淹れていただけです。
それでも常連は来ました。ほかに行くところがなかったんだと思います。飲屋街の外れで、昼から夜まで開いていて、誰も話しかけてこない店というのは、あのころ、案外貴重でした。
カウンターの奥でレコードを回して、壁には南国の写真が貼ってありました。行ったこともない土地の写真です。父が誰かにもらったものだと聞いています。ヤニで飴色になっていて、海の青が、年々、茶色くなっていきました。
坊さんは、決まって夕方に来ました。
六十手前だったと思います。袈裟を着て、胸元に大きな数珠を下げていました。口は重い。挨拶もしません。カウンターのいちばん端に座って、ミルクセーキを一杯飲んで、金を置いて帰る。それだけです。
「視える人らしいで」という噂は、飲屋街に流れていました。わたしはそういう話を信じていませんでしたし、興味もありませんでした。うちの店にとっては、静かに座って毎日一杯飲んでいく客というだけで、じゅうぶんありがたい人です。
あの人には癖がひとつありました。
座ると、胸の数珠を外して、カウンターに置くんです。
いつも同じ場所に、輪のまま。それから飲んで、帰るときにまた首にかける。
黒っぽい、大ぶりの玉でした。よく使い込まれていて、ところどころ、角が丸くなっていました。
ある日、暇だったので、わたしはそれを数えました。
客はほかにおらず、坊さんは便所に立っていて、数珠はカウンターに置いたままでした。触るのも悪い気がしたので、指の先で押しながら、ひとつずつずらして数えました。
百八ありました。
そういうものなのかもしれません。わたしは仏具のことは何も知りません。ただ、数え終わったときに、多いな、と思ったのは覚えています。
顔を上げたら、坊さんが戻ってきていて、それを見ていました。
わたしは何も言いませんでした。あの人も何も言いませんでした。ただ数珠を取って、首にかけて、また座って、ミルクセーキの続きを飲みました。
それだけの話です。
わたしはその日から、あの数珠に触れませんでした。
二 卵を二つ
坊さんは、わたしが店を継ぐ前から来ていました。
父に一度、あの坊さんは何なんや、と聞いたことがあります。父は「知らん」と言いました。それで終わりです。うちはそういう店で、うちはそういう家でした。
昭和五十年代の半ばだったと思います。
いつものように出そうとしたら、坊さんが、カウンター越しに言いました。
「あんた」
声をかけられたのは、それが初めてでした。八年ほど作っていて、初めてです。
「はい」
「卵な。二個にしてくれるか」
わたしは、少し考えました。ミルクセーキの卵は一個です。二個にすると味が変わります。濃くなって、甘さが立たなくなる。正直、うまくはありません。
「二個ですか」
「二個や」
「味、変わりますよ」
「かまへん」
坊さんは、それから付け足しました。
「銭は、同じでええ」
わたしは「いや、そら」と言いかけて、やめました。
この人は値切っているのでも、得をしようとしているのでもない、と分かったからです。卵の数の話だけをしている、という感じでした。
結局、値段は据え置きました。卵一個で商売がどうこうなるほど、うちは繁盛していませんでしたし、あの人は十六年、一日も欠かさず来ていましたから、こちらが得をしていました。
その日から、坊さんのミルクセーキは卵二個になりました。
わたしは一度、味見をしてみたことがあります。
うまくありませんでした。生臭くて、重い。冷やしても、卵が喉に残ります。飲んだあと、しばらく口の中がぬるつく。あれを毎日飲むのは苦行だろうと思いました。
坊さんは、うまそうに飲んだことが一度もありません。
いつも、三口か四口で、一気に飲み下していました。グラスを置くときに、必ず、小さく息を吐きました。
薬を飲む人の飲み方でした。
常連の一人に「あの坊さん、なに飲んでんの」と聞かれたことがあります。
「ミルクセーキです」
「あの人が?」
「はい」
「似合わんなあ」
似合いません。わたしもそう思っていました。
三 あの夏
昭和五十九年の夏のことです。
弟が、手伝いに来ていました。もともと別の仕事をしていたのが、その年の春に辞めて、ぶらぶらしていたので、店に呼んだんです。皿を洗って、氷を割って、たまに客と喋る。うちの店で唯一、客と喋れる人間でした。
その日の夕方、常連の若い子が、駐車場の先輩と一緒に来ていました。十九か二十の学生と、三十過ぎの、体の大きな人です。よく二人で来ていました。
その大きいほうの人が、その夏、みるみる痩せていました。
わたしは無愛想ですが、客の顔は見ています。二週間で人相が変わる人間というのは、そうそういません。だからその日、アイスコーヒーを運んだときに、一言だけ言いました。
「あんた、痩せたな」
それだけ言って、戻りました。
いま思えば、あれがわたしの、精いっぱいでした。
その夕方、坊さんが来て、あの二人と同じテーブルに座りました。何か話していましたが、わたしはカウンターの内側にいたので、聞いていません。
三日後、その大きい人が、女を連れてきました。
白いワンピースに、腰までの黒髪の人でした。
わたしはその人に水を出しました。手をつけませんでした。それだけです。あとは何も覚えていません。覚えていないというより、見ていませんでした。カウンターの内側で、氷を割っていました。
坊さんが入ってきて、扉が閉まって、それから、悲鳴が上がりました。
顔を上げたときには、女が立ち上がって、叫んでいました。人の声ではありませんでした。
弟が、その腕を掴みに行きました。
止めようとしたんだと思います。うちの店で、うちの客が暴れているので、止めに行った。それだけのことです。
わたしは、掴むな、と言いませんでした。
言えるはずもありません。一秒もなかったんですから。
それでもわたしは、その一秒を、四十年考えています。
弟が厨房へ走り込んできました。すれ違いざまに、顔を見ました。
笑っていました。
そのあとのことは、順番がめちゃくちゃです。包丁と、血と、誰かがひっくり返したテーブルと、床に散らばった氷。学生の子が、腰を抜かして座り込んでいました。女が、その中を、まっすぐ歩いて出ていきました。
坊さんは、立ち上がりませんでした。
わたしは、弟の右手を、タオルで押さえていました。
四 左手
店は、三日休みました。
床を洗って、割れたものを片づけて、テーブルを一つ買い替えました。血は、拭けば落ちます。四日目には、何もなかったような店になりました。
弟は、命は助かりました。
右手は、戻りませんでした。指は動きます。ただ、力が入らない。物を握れない。医者は「神経が」と言っていましたが、わたしにはよく分かりませんでした。
退院してしばらく、弟は右手をポケットに入れて歩いていました。
一度だけ、聞きました。
「痛むんか」
「痛ないわ」
「ほな、なんでポケットに入れとんねん」
「ぶらぶらすんのが、気色悪いねん」
それきり、その話はしませんでした。
わたしは、弟を店に呼んだのは自分だ、と何度も思いました。呼ばなければ、あの日あそこにいなかった。それを言おうとして、言えませんでした。言えば、弟が「兄貴のせいちゃう」と言うに決まっていて、そう言わせるのが、いちばん卑怯だと思ったからです。
だから、もう来なくていい、と言うつもりでいました。
その言葉を用意して待っていたら、弟のほうが先に、カウンターの内側に入ってきました。
そして、左手でコーヒーを淹れました。
わたしはそれを見ていました。ぎこちなくて、遅くて、湯が細すぎて、見ていられませんでした。豆の上で湯を回すのに、ふつうの倍かかっていました。
出てきたコーヒーを飲んで、わたしは黙りました。
うまかったんです。
「兄貴の淹れ方が下手やっただけや」
弟はそう言って、笑いました。
その日から、うちのコーヒーは弟が淹れることになりました。
常連が増えました。「ここ、うまなったな」と言われるたびに、わたしは黙っていました。「兄ちゃん、やっと本気出したか」と言われたときも、黙っていました。
二十年やってきて、わたしが店に入れた改良は、それだけです。
弟の右手が、そのぶんの代金でした。
五 卵を三つ
あの夏の、半月ほどあとです。
坊さんが、また来るようになりました。
事件のあと、しばらく姿を見せませんでした。来なくなるだろうと思っていました。あんなことがあった店です。もっと言えば、あの騒ぎのきっかけを作ったのは、あの人が呼んだからだ、と言う客もいました。
でも来ました。
夕方、いつもの時間に扉が開いて、いつもの端の席に座って、数珠をカウンターに置きました。
店の中が、少し静かになりました。
弟は、厨房から出てきませんでした。
わたしがミルクセーキを作ろうとしたら、坊さんが言いました。
「あんた」
「はい」
「卵な」
わたしは冷蔵庫の前で、手を止めました。
「三個にしてくれるか」
わたしは、坊さんの顔を見ました。
あの人は、こちらを見ていませんでした。カウンターの木目を見ていました。
「……三個ですか」
「三個や」
「もっと、まずなりますよ」
「かまへん」
わたしは、卵を三つ割りました。
三つ入れると、色が変わります。黄色が濃くなって、白い飲み物ではなくなる。混ぜているときから、においが立ちました。
出したものを、坊さんは三口で飲み下しました。喉が鳴りました。
飲み終わったあと、しばらく口を押さえていました。
グラスの底に、卵の筋が残っていました。わたしはそれを洗いながら、こういうものを毎日飲む人間の腹の中を、少し考えました。
聞きませんでした。
いま考えれば、あのとき聞くべきでした。
でも、あのときのわたしにとって、それは「注文が変わった」というだけの出来事です。客の好みが変わることなど、いくらでもあります。歳を取って濃いものが欲しくなったんだろう、くらいに思っていました。
卵が一つ増えた。
それだけの話でした。
六 四年目
坊さんが痩せはじめたのは、昭和六十二年の暮れごろだったと思います。
最初は、そんなものかと思いました。もう六十を越えている人です。年寄りは痩せます。冬は誰でも顔色が悪い。
けれど、年が明けてから、明らかに変わりました。
袈裟が、余るんです。肩のところが落ちて、首が細くなって、そのぶん、胸元の数珠だけが前と同じ大きさで下がっている。着ているものと下げているものだけが元のままで、中身が減っていく。そういう見え方でした。
春になると、座るときにカウンターに手をついて、腰を落とすようになりました。
立つときは、もっと時間がかかりました。
常連の一人が、帰り際に言いました。
「あの坊さん、あかんのちゃうか」
「そうですか」
「そうですかて、あんた」
わたしは布巾を動かしていました。それが、わたしの返事です。
あの夏の、大きな人と同じ順番でした。
疲れる。顔色が悪くなる。歩くのが遅くなる。
わたしはそれを、カウンターの内側から見ていました。
一度、袖から手首が出たときに、目を凝らしました。
斑点は、ありませんでした。
あの夏、大きな人の腕には、黒い斑点が浮いていたそうです。学生の子が、あとで話してくれました。虫刺されでもあざでもない、墨を数滴落としたような、輪郭のはっきりしない黒だったと。
坊さんの腕は、ただ細いだけでした。皮膚は、きれいなものでした。年寄りの、乾いた、うすい皮膚です。
わたしは、そのとき、なぜか安心したんです。
違う。あの人とは違う。だからこれは、ただの老いだ。そう思いました。
いま思えば、あんな都合のいい安心の仕方はありません。
あんた、痩せたな。
その一言を、わたしは何度も言おうとしました。
あの夏、大きな人に言ったのと、同じ一言です。
言いませんでした。
言えば、何かが決まってしまう気がしたからです。
わたしは無愛想な男ですが、無愛想な人間は、口が重いのではありません。言わずに済ませる理由を、見つけるのが上手いだけです。
七 コーヒー、もらおか
昭和六十三年の、春先です。
いつものように坊さんが座って、わたしがいつものように卵を三つ出そうとしたら、言われました。
「あんた」
「はい」
「コーヒー、もらおか」
わたしは、卵を持ったまま、しばらく動けませんでした。
十六年です。十六年、この人はミルクセーキしか頼まなかった。
「……コーヒー、ですか」
「そう」
「うち、薄いですよ」
「知っとる」
わたしは卵を冷蔵庫に戻して、弟にコーヒーを淹れさせました。弟が左手で、ゆっくり湯を落としました。あの日は、いつもより長くかかったように思います。
出したものを、坊さんは一口飲んで、初めて、笑いました。
十六年で、初めてです。
「うまいな、これ」
わたしは、何と返せばいいのか分かりませんでした。うまいはずがないんです。うちのコーヒーは薄い。弟が淹れるようになって多少ましになりましたが、それでも薄い。
「……薄いでしょう」
「薄いのがええねん」
坊さんは、そう言って、また一口飲みました。
ゆっくり飲んでいました。三口で飲み下す人ではありませんでした。
それから三月ほど、坊さんはコーヒーしか頼みませんでした。
毎日来て、薄いコーヒーを一杯、時間をかけて飲んで、帰る。
店にいる時間が、長くなりました。
前は十分ほどで出ていった人が、一時間近く座っているようになりました。何をするでもなく、レコードのかかっているほうを向いて、たまに壁の南国の写真を見ていました。
わたしはそのあいだ、グラスを磨いていました。
話しかけようとは思いませんでした。うちはそういう店です。
そのあいだに、あの人はもっと痩せました。
わたしは、卵を買う数を減らしました。
八 勘定
最後に来た日のことは、よく覚えています。
六月の、蒸し暑い夕方でした。表の道に打ち水の跡があって、それがもう乾きかけていました。
坊さんは、いつもの端の席に座って、数珠を外して、カウンターに置きました。
注文をしませんでした。
わたしが水を出しても、手をつけませんでした。
弟が厨房から出てきて、カウンターの向こうを通りました。
坊さんは、その右手を見ていました。
弟が氷を出して、戻っていくまで、ずっと見ていました。ぶら下がったまま動かない、あの右手です。
それから、独り言のように言いました。
「あんたの弟な。運がええで」
あの夏にも、同じことを言ったそうです。学生の子から聞いていました。手一本で済んだんだから運がいい、という意味だと、わたしはずっと思っていました。
「……そら、まあ」
「ほんまに、運がええ」
二度目のほうが、静かでした。
坊さんは、袂から封筒を出して、カウンターに置きました。
「勘定、まとめて置いとくわ」
「いや、あの人、毎日もろてますけど」
「ええから」
「困りますわ」
「困っといてくれ」
それだけ言って、坊さんは立ち上がりました。
手をついて、腰を落として、立ち上がるのに、しばらくかかりました。わたしは、手を貸しませんでした。貸されるのを嫌がる人だと思っていたからです。
数珠を取って、首にかけて、扉のほうへ歩いていきました。
わたしは、その背中に、言おうとしました。
あんた、痩せたな。
言いませんでした。
扉が閉まって、鈴が鳴って、それきりでした。
封筒は、レジの下に入れました。あとで数えるつもりでした。
それが、あの人を見た最後です。
九 南の土地
訃報は、噂で来ました。
うちの常連の一人が、七月の頭に、カウンターで喋っていたんです。あの坊さん、死んだらしいで、と。
わたしは布巾を動かす手を止めませんでした。
「どこで」
「それがな」
常連は、身を乗り出しました。こういう話が好きな男でした。
「こっちちゃうねん。ずっと南のほうや。海の近くの、なんちゅうたかな、そういう土地でな。そこの道端で倒れとったらしい」
「南」
「そう。誰も、なんで行っとったんか分からんて」
その人には、寺も家も、この街にありました。用事があるとも聞いていませんでした。年寄りが、ひとりで、あんな体で、そんな遠くまで行く理由がない。
「病気か」
「さあ。倒れとっただけやから、心臓ちゃうかて言うとったわ」
常連は、それから、思い出したように付け足しました。
「あ、そや。おもろい話があってな」
「なんや」
「ポケットに切符が入っとったらしいわ。それが、行きだけやねんて」
わたしは、布巾を止めました。
「帰りは」
「無い」
「無い」
「無いねん。財布には銭も入っとったのに、行きの切符だけ買うとった。買い忘れやろて言う人もおるけど、あの歳であれやろ。ふつう、往復で買うわなあ」
わたしは、何も言いませんでした。
常連は、もう一つ喋りました。これは、その人が誰かから聞いた話の、また聞きだったと思います。
「それとな、あの数珠あるやろ。胸に下げとったごっついやつ」
「ある」
「あれ、玉が一個も残っとらんかったらしいで」
「玉が」
「糸が切れて、全部落ちたんちゃうかて。せやけど、そこらに落ちてたわけでもないらしいねん。紐だけ、首にかかっとったて」
常連は、笑っていました。怖い話をしているつもりだったんだと思います。
わたしは、布巾を絞って、それを片づけました。
その日、わたしは店を閉めてから、封筒を開けました。
六月からずっと、レジの下に入れっぱなしにしていたものです。
中は、金でした。
数えました。何度も数えました。うちのミルクセーキの値段で、きっちり割り切れる額です。端数はありませんでした。
百八杯分ありました。
わたしは、そのとき何も思いませんでした。
多すぎる、と思っただけです。
十 百八杯
次の日から、わたしは毎日、ミルクセーキを一杯作りました。
卵は三つ入れました。
作って、カウンターのいちばん端に置きました。
誰も飲みません。夜、店を閉めるときに、流しに捨てました。
なんでそんなことをしたのか、いまでもうまく説明できません。
銭をもらったからです。もらった分は出す。商売とはそういうものです。——というのは、たぶん、後から自分でつけた理屈です。
ほんとうのところは、そうしないといけない気がした、というだけでした。
常連に何度も聞かれました。
「なんやそれ」
「知らん」
「知らんて、あんたが作っとんねやろ」
「そうやな」
それで、みんな聞かなくなりました。うちはそういう店です。
弟だけは、一度も聞きませんでした。
毎日、わたしがそれを作って端に置いて、夜に捨てるのを、左手でコーヒーを淹れながら、黙って見ていました。
一度だけ、洗い物をしながら、独り言のように言ったことがあります。
「三つも入れとったんやな、あの人」
「そうや」
「ようあんなもん、毎日飲めたな」
それだけです。わたしも、それだけ返しました。
「ようあんなもん、毎日出しとったわ」
百八日で、封筒の金は尽きました。
わたしは、作り続けました。
平成三年に店を閉めるまで、三年ほど、毎日一杯です。
閉店の日、最後の客を送り出して、看板を下ろして、厨房を片づけました。
冷蔵庫に、卵が三つ残っていました。
わたしは、それを作りませんでした。
三つとも、そのまま袋に入れて、家に持って帰りました。
なんとなく、もう、いいだろうと思ったんです。
それから三十年あまり、何も起きませんでした。
終章 卵
去年、弟が死にました。
八十を二つ越えていました。最後まで右手は戻りませんでしたが、最後まで、左手でコーヒーを淹れていました。店を閉めたあとも、家で淹れていました。近所の年寄りが、それを飲みに来ていました。
葬式が終わって、家に帰って、わたしは久しぶりに台所に立ちました。
誰に言われたわけでもありません。ただ、そうしたくなったんです。
ミキサーを出して、牛乳と、砂糖と、氷を入れました。三十年以上ぶりでしたが、手が覚えていました。
冷蔵庫から、卵を出しました。
一つ、割りました。
二つ、割りました。
三つ目に、手が伸びていました。
わたしは、しばらく、その手を見ていました。
十六年、わたしは一度も、なんでミルクセーキなんですかと聞きませんでした。
いまは、聞かなくても分かります。
あの人は、ずっと、何かに餌をやっていたんです。
二つで足りていたものが、あの夏から三つになりました。弟の右手から出ていったものが、あの日どこへ行ったのか、わたしはずっと考えないようにしてきました。
最後の三月、あの人は餌をやるのをやめました。
腹をすかせたものは、出ていきます。出ていくときに、入れものは死にます。
だからあの人は、出ていく先を選んで、自分の足で、南の海に近い土地まで歩いていったんです。
行きの切符だけを買って。
あの人は、祓ってなどいませんでした。
切って、追い出して、そのつど、自分で引き取っていただけです。
首から下げていた玉の数だけ、預かって歩いて、最後に、全部そこへ置いてきた。
だから紐だけが、残っていた。
——では、いま。
わたしの手が三つ目の卵に伸びたのは、いつからのことなのか。
わたしには、分かりません。
あの人はもう、いません。
聞ける相手が、いないんです。
わたしは、三つ目の卵を、割りました。
《了》
前の話で、入られた者は二通りに分かれました。腕を切って追い出した者と、気に入って追い出さなかった者。この一篇には、三人目がいます。人から追い出したものを、行き場のないまま、自分の身体で預かった者です。預かったものは、腹をすかせる。だから毎日、何かを入れて黙らせる。一つで足りなくなれば二つにし、二つで足りなくなれば三つにする。入れるのをやめれば、それは出ていく。出ていくとき、入れものは持たない。だから最後に、置いていく場所を自分で選ぶ。帰りの切符は、はじめから要らない。陰が陽に入り込むのではなく、陽が陰を抱えて歩く。同じ型の、裏側です。
この庫は、語られるたびに増えていく。
あなたが視たもの、聞いたもの、腑に落ちないまま抱えているもの。
それも、まだ名前のつかない一篇かもしれません。